2000年代に入り日本の消費者向けビジネスは激しい価格競争を展開しました。その競争も経済が好転して終わりを告げるのではという期待する声もありますが、根本思想として価格戦争が終わることはなさそうな気がします。
今から40年前、主婦はご主人や子供を送り出した後、新聞の折り込み広告を丹念に見比べ、スーパーの特売に目を光らせ、自転車を漕ぎ、1駅、2駅分もものともせず、10円の安さを求めて走り続けてきました。男性諸君からは「たかが10円」「時間がもったいない」といったコメントが出ますが、女性は安いものをゲットした時の「勝利の快感」を求めているのであって10円を求めているのではないという認識違いがあります。ですから、その傾向は40年たった今も変わりませんが、あるとすれば自転車の代わりにネットで安い所を探すという新たなるページが加わったことかもしれません。
逆に供給側は競争できる価格ではないとモノが売れない、だから価格を下げるという安直型の経営方針になっていきます。これは長所と短所があるでしょう。
長所はバブル経済時期を通じて日本の物価が諸外国に比べて非常に高いと指摘されてきたものの経営の効率化、不動産価格の鎮静化、人員の削減などで大きく改善したと言えます。一方、短所としては商品の付加価値の調整よりも価格の調整によりその競争力をつけようとしたことが挙げられましょう。その強力なマーケティングと長期にわたる趨勢は日本の消費者に価格は下がるものである、という印象を確実に植え付け、新製品や高級品にあるプラス価値よりも100均のような「これでいい」というマイナス価値に魅力を感じるようになったとも言えます。更には体力のない会社が市場からの退場を余儀なくさせられました。
では、この薄利多売でありますが、カナダやオーストラリアではワークするでしょうか?かなり無理であります。なぜなら人口密度が少なく、一定商圏内の理論的な自社の取り分を求めるフェアシェアの売り上げは日本よりはるかに悪化し、損益分岐点に達しないことになるのです。「薄利小売」では儲けは出ません。
例えば東京のオフィス街にあるコーヒーショップ。そこには日中人口3000人と非定住の流動人口3000人に対してコーヒーショップが3軒あり、3軒の差はないとします。つまりフェアシェアは33%です。そうすると1軒当たりのコーヒーショップの潜在人口は2000人おり、そのうちの30%がコーヒーを買うとすれば一日当たり600杯のコーヒーが売れます。一杯300円として一日18万円売れますが、コーヒーショップは地代、従業員といった固定費が大きくで豆代は微々たるものですから非常に儲かりやすいビジネスケースと言えます。
ところがこれを人口密度が8分の1の大バンクーバーエリアで計算すれば1日わずか2万2500円となってしまい、固定費も出ないという事になります。適用した数字は極端な例ではありますが、固定費を吸収さえすれば売り上げ上昇と共に急激に利益が上昇しやすくなる意味がお分かりいただけると思います。
つまり薄利多売は人口が多く、潜在顧客が多いという環境下にあればフェアシェアをいかに増せるかの戦略次第であって販売価格の弾力性は大いにあるともいえます。そのためには冒頭のスーパーの様にチラシを捲き目玉商品を打ち出せばフェアシェアの比率は上昇し、2駅先からでも自転車を漕いで買いに来るお客様がいれば薄利多売でも利益は出たことになります。ところがこのシェア争いを延々と続けたことで健全な利益が出なくなりました。勝者なき戦いもここまで、と思われたところに出たのがネットであります。
これは不動産が一等地になくてもよいこと、販売員がいなくてもよいことからその節約分を価格に転嫁でき、新たなる価格戦争が起きています。そして不幸なことにこの市場は日本全土であって商品によっては1億2000万人のフェアシェアの争いとなっているともいえます。
ただ、将来を俯瞰すると人口減が確実視されているわけですから供給を減らさざるを得ないことになってくるでしょう。外食、コンビニ、ネット販売の会社が海外に出ていくのは企業の成長を考えれば当然の流れであるとも言えます。幸いにして東南アジアには高い成長性と人口密度がありますので当面はこの方向性が変わることはなさそうな気がします。
逆に言えば北米の様に人口密度が小さく、薄利多売ができないからこそ、商品の潜在的付加価値に企業存続の重みを求めるともいえ、本質的な強みは確かにあるでしょう。個人的には欧米発の商品は価格が高すぎるのであって、欧米のアイディアと日本式効率化の組み合わせは極めて強いビジネスモデルになるのではないでしょうか?
今日はこのぐらいにしておきましょう。
岡本裕明 ブログ 外から見る日本 見られる日本人 3月9日付より