「あり得ないこと」が多発する韓国 --- 長谷川 良

アゴラ

韓国の聯合ニュースによると、「朴槿恵大統領は6日、リッパート駐韓米国大使に対する襲撃事件について、『自由民主主義と平和を追求する韓国で米大使がテロを受けたことは韓国政府と国民に衝撃的な事件で、あり得ないことだ』と発言した」という。


駐韓米大使襲撃事件を朴大統領は、「あり得ないことだ」と述べたが、残念ながら、事件は起きてしまった。一国の最高指導者、大統領の危機管理への認識が甘かったというべきなのだろうか。それとも、「あり得ないこと」がここ数年、多発する韓国社会には「あり得ないこと」が発生しやすい何らかの状況が存在するのだろうか。

昨年4月16日、仁川から済州島に向かっていた旅客船「セウォル号」沈没事故で約300人が犠牲となるという大事故が起きた。船長ら乗組員が沈没する2時間前にボートで脱出する一方、船客に対して適切な救援活動を行っていなかったことが判明し、遺族関係者ばかりか、韓国国民を怒らせた。この事故も本来、「あり得ないこと」だった。だから、韓国国民も大きなショックを受けたわけだ。同国では過去、橋や建物の崩壊など、「あり得ないこと」が頻繁に起きているのだ。

そこで「あり得ないこと」とは、ひょっとしたら「あり得ること」に対する認識不足に過ぎないのではないか、という素朴な疑問が湧く。穿った表現をするならば、「あり得ること」故に、「あり得ないこと」と強調せざるを得ないのかもしれない。「あり得ること」で、「あり得たら」、責任問題が出てくるからだ。

先述した「駐韓米大使襲撃事件」と「セウォル号沈没事故」の2件は「あり得ないこと」が実際は「あり得たこと」を示した。後者の場合、船長ら乗組員への教育不足、船舶会社の営利中心主義などが事故後、明らかになっている。その意味で、「あり得ること」が起きただけだというべきかもしれない。

前者の場合、襲撃犯人の男が反米、反日主義者であり、過去にも前科があった人物だ。そのような男が駐韓米大使が出席する朝食会に簡単に参加し、米大使に接近できたという事実はどうみても警備体制の致命的な欠陥と指摘せざるを得ない。すなわち、前者も「あり得ること」がたまたまその時起きたというだけではないか。

「あり得ないこと」が起きるのはもちろん韓国だけではない。マグニチュード9の東日本大震災は通常の日本人にとって本来「あり得ない」ものだった。だから、大震災後、日本では「想定外」という表現が頻繁に使用された。韓国の襲撃事件や沈没事故とは違い、大震災は天災だ。それでも日本人は「あり得ないこと」が起きたことから、その「あり得ないこと」を「あり得ること」として受け入れる努力を行ってきた。具体的には、原発の安全強化、津波対策などだ。それが東日本大震災の教訓だったからだ。

一方、韓国の人災の場合、直接の責任者を裁くことで事件の幕を閉じるケースが少なくない。だから、国も社会も「あり得ない」ことが「あり得た」ことに対して教訓を汲み取る作業を怠る。その結果、韓国の人災はその後も多発する。

「あり得ないこと」もひょっとしたら「あり得る」と考え、万全の危機管理を敷かなければならない。そのためには、国民一人一人が「責任を担う」といった気概が大切だ。韓国社会に蔓延する責任転嫁の風潮を打破しなければならない。その意味で、朴大統領は率先して「あり得ないこと」が起きたことに対し、その責任を明確にし、その対策に乗り出すべきだろう。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2015年3月9日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。