歴史認識 日独の相違

岡本 裕明

メルケル首相が来日し、両国間のことに触れる記事が目立っています。以前にもお伝えしたようにメルケル首相は日本に距離感を持ち、安倍首相とそりが合わないのではないかとされています。今回の来日もG7の根回しが主たる理由であり、安倍首相と当初から特別な協働を目的としたわけではありません。


そのなかでドイツは戦後、謝罪を通して欧州諸国との関係改善をうまく行い、早い立ち直りだったのに対して日本が戦後70年たっても隣国との関係を改善できず、むしろ悪化することすらあるこの状況にいら立ちを見せています。メルケル首相としては「もっとうまくやってよ!」と言いたいのでしょう。確かに日本を取り巻く中国、韓国との関係がこれほどぎくしゃくするのは欧米にしてみれば理解しがたく、アメリカもそのいらだちを見せています。

ただ残念ながら私にはこの歴史認識とその関係改善がそう簡単ではないように思えます。

まず、ドイツがなぜ欧州の中でうまくやり直せたのか、私が思うファクターを挙げましょう。

一つ目としてドイツは戦争責任をナチスに押し付けることでドイツとの区別化を図りました。結果としてナチスの犯した罪については謝罪を繰り返すもののドイツとしては別立場をとれる計らいがありました。

二つ目にドイツが戦後直後、分割占領され西ドイツと東ドイツに分かれ、双方が冷戦の橋頭堡でありました。その最中でアメリカとしては西ドイツの再軍備に同意せざるを得ず、元ナチスがなし崩し的に地位を回復することができた上にベルリンの壁が崩壊したのちは強いドイツが結果として生まれました。

三つ目にドイツが欧州の移民を受け入れ続けている事実であります。これは「中から見るドイツ」が外に伝わりやすい効果があると言えましょう。いわゆる大陸と島の差でもあります。

少なくともこの三つについて日本は根本的に歩んだ道が違いました。例えば日本では東京裁判で有罪となった人物、ないし大本営だった人々が戦後、政財界でリーダーシップを取った事実があります。あるいは1950年の朝鮮戦争時に日本再軍備の検討がありましたがそれを否定しました。移民には消極的姿勢を続けたのが日本の政策でした。

この違いをもってドイツはうまくやったが、日本は下手だった、というのは暴力的な発想ではないでしょうか?

歴史的背景とアメリカの役割、つまり、日本を無力化するという野望においてはドイツとあまりにも差が大きいと思います。

欧州では歴史の中で戦争を繰り返し、分裂と併合を繰り返し、地図が幾度となく塗り替えられています。ところが東アジアについてみると中国と朝鮮半島の地図はやはり何度も変わっていますが、日本だけは変わっていません。つまり日本には戦争そのものに対する歴史的免疫がなかったともいえないでしょうか?

その上、日露戦争で勝利した日本は欧米からすれば驚愕の事実であり、アジアにおける日本を無視できなくなる一方でその強大で拡大する勢力に将来的な不安を抱いたわけです。よって、GHQの目指す日本の無力化は当然の政策でありました。欧米として日本がこれほど早く経済復興するとは思いもよらなかったのでしょう。まさに想定外でありました。

では中国、韓国とはなぜうまくいかないのか、でありますが、私には中華思想による差別化が一つの原因としてあるのではないかと考えます。中華思想は「中国大陸に目覚めた天動説」のようなもので漢民族の自民族中心主義思想であります。当初朝鮮半島は小中華とされていたのですが、17世紀、中国大陸において満州族による清国が出来た時、中華思想を引き継ぐのは朝鮮半島の民族であるという自負ができたともされています。これが韓国の強さともされています。

ちなみに中華思想では日本は倭夷であって野卑な非文明国とされていました。その思想は日本にも入り込み、清国成立の際、日本こそが真の中華であるという主張がなされたこともありました。それが水戸学につながり、尊皇攘夷論、更には現人神の発想が展開されたとする説もあります。

どの程度勘案するか程度の差はあれど、日中韓には同一思想を根本としたポジション争いが絶対にないとは言い切れません。思想を同一にした解釈を巡るトラブルはいくらでもあり、現在起きているイスラムの問題もその一つともいえ、実に解決困難な問題であります。

メルケル首相やアメリカのいらだちも分かりますが、この問題そのものを根本から研究すればするほど、そして70年という歴史を重ねてしまったがゆえに余計にすっきりと解決できない歯がゆさがあります。

今日はこのぐらいにしておきましょう。

岡本裕明 ブログ外から見る日本 見られる日本人 3月10日付より