君子像いろいろ

北尾 吉孝

『論語』を読むと、孔子の弟子や孔子が訪ねた諸侯等、様々な人が「君子とは何か」と尋ねています。その他の中国古典の中にも、君子という言葉は沢山出てきます。果たして君子とは、如何なる者として描かれてきたのでしょうか。


之に関し、拙著『君子を目指せ小人になるな』(致知出版社)第2章の3『「君子」の定義』の中でも次の4名が描いた君子像を夫々、「心の中心に仁と礼があるか――孟子(前372年?-前289年)」、「徳が才に優っているか――司馬温公(1019年-1086年)」、「君子は為政者、小人は被統治者――伊藤仁斎(1627年-1705年)」、「教養人と知識人――加地伸行1936年-)」と題して御紹介したことがあります。

このように君子と小人の区別は時代により人により様々であって、例えば加地伸行・大阪大学名誉教授は、『論語』の中の「君子」を「教養人」というふうに訳され、教養人とは「家族のみならず、他者の幸福をも願う人」「知性を磨くだけでなく、徳性が加わった人」と定義されています。

あるいは幕末から維新にかけての偉人、西郷隆盛(1828年-1877年)と勝海舟(1823年-1899年)を比べて、「西郷隆盛は君子だったが、勝海舟は小人だった…勝は頭脳明晰で、抜群に頭が切れる才人だったが、徳が才に劣っていた。だから小人のままで、君子にはなれなかった。一方、西郷は、徳のほうが才よりも勝っていたので君子であった」と批評する方もいます。

同時代にあって明治維新前夜の人物の中では、吉田松陰1830年-1859年)が最も偉大な人物ではないかと私自身は思っていますが、上記してきた君子と小人ということでは彼も色々な言葉を残しています。

その一つに、「およそ学をなすの要は、おのれが為にするにあり。おのれが為にするは君子の学なり。人の為にするは小人の学なり」という言い方をしています。私は上記拙著の中で、孔子にとっての学問の本義として「命を知り、心を安らかにする」と共に、「人生に惑わないために学ぶ」ということを、荀子の「夫れ学は通の為に非ざるなり。窮して困しまず、憂えて意衰えざるが為なり。禍福終始を知って惑わざるが為なり」という言葉を用いて御紹介しました。つまり、荀子は「学問というものは、立身出世や生活の手段ではなく、どんなに窮しても苦しまず、どんな憂いがあっても心が衰えず、何が禍で何が福なのか、その因果の法則を知り、人生の複雑な問題に直面してもあえて惑わないためのものである」と述べています。此の荀子の「学」こそ、松陰の言う「君子の学」と言えましょう。

最後にもう一つ、松陰は「君子は、理に合うか否かと考え、行動する。小人は、利に成るか否かと考えて、行動する」とも言っています。その意味で言うと、中国古典の中に「義利の辨」という言葉がありますが、孔子は「君子は義に喩(さと)り、小人は利に喩る…物事を判断する時、君子は正しいかどうかで判断するが、小人は損得勘定で判断する」(里仁第四の十六)として、君子と小人を分ける一つの大事な点を挙げています。これ正に義と利の何れを優先するかということで、私が描く君子像の一条件「私利私欲を捨て、道義を重んじる」に当たります(参考:私が考える君子の六つの条件―①徳性を高める、②私利私欲を捨て、道義を重んじる、③常に人を愛し、人を敬する心を持つ、④信を貫き、行動を重んじる、⑤世のため人のために大きな志を抱く、⑥世の毀誉褒貶を意に介さず、不断の努力を続ける)。

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