対中軍事戦略について当事者意識の乏しい日本研究者 --- 井本 省吾

アゴラ

産経新聞3月7日付けに、ワシントン駐在客員特派員の古森義久氏が「中国軍拡に日米専門家の温度差」というコラムを載せている。  

ワシントンにある米研究機関のブルッキングス研究所で2月27日に日米の専門家による討論会が開かれた。テーマは中国の軍事力増強がどの程度日本に脅威を与えているか。


古森氏は、米国の専門家の方が当の日本の専門家よりもずっと強く脅威を認識していたという。それどころか、米専門家はその中国の脅威についてどう対処するかという具体策を提示しているのに、日本側には具体的な対策を提示しなかった。例えばこうだ。

中国軍の近代化の名の下での大増強については、米国スティムソン・センター主任研究員の辰巳由紀氏が「日中のミラー・イメージ(左右対称)」という表現で、中国側の軍拡の理由は日本の動向にあるのではという見解を示唆した

ところが、(元国防省の中国軍事担当で現在は「海軍分析センター」中国研究部長をしている)デービッド・フィンケルスタイン氏は「中国軍の近代化は日本の動向とは直接、なんの関係もない」と述べ、中国が江沢民主席の下で1993年ごろから米国や台湾を主対象として大規模な軍拡を始めたという経緯を詳述した

ブルッキングス研究所外交政策研究部長のマイケル・オハンロン氏も「中国の対外戦略の柱は日本への嫌悪や敵意であり、その背後には過去の屈辱を晴らすという歴史上の不満がある」と中国批判をにじませる見解を述べたという。

その上で同氏は……「日本はいまの防衛費を少なくとも50%増加してGDPの1.5%まで引き上げれば中国の抑止やアジアの地域安定に大きく寄与する」と具体的な提案をした

日本側の研究者は、総じて中国の軍事戦略の背景や軍事行動についての分析が甘いうえ、日本領海侵入など中国の脅威にどう対処するかの具体策の提示に欠ける、と古森氏は指摘する。

オハンロン、フィンケルスタイン両氏は中国軍の……脅威を中距離ミサイル配備や新型潜水艦増強といった点に明確に絞って強調した。その上で両氏が日本側の防衛費の増大とともに、とくにミサイル防衛や対潜戦力の強化をも訴えたところが日本側と温度差をみせつける結果となった

なぜ、そうなるのか。日本の研究者は総じて、中国をはじめ諸外国とは対決を避け、友好を促進するという姿勢をとるからではないか。「話せばわかる、対話第一」という思想から抜け出られないのだ。

もちろん宥和を促し、平和を維持するのは当然である。だが、その平和主義が、軍事戦略への思考を停止させ、相手の悪意や怨念、敵意の冷静な把握、分析を阻害しているのではないか。

まして、相手と戦うための予算や装備や戦略、予算をどうするかなど、考えようともしない。平和国家・日本に軍備増強などあってはならないと拒否反応を示し、「核武装」の議論などはタブー。「そんなことを言うのは極右だ、軍国主義者だ」「危険だ」となってしまい、冷静な議論ができなくなってしまう。

そして軍事力増強を唱えること自体が中国との緊張を高め、戦争の危険につながってしまうと考える。こちらが平和的な態度なら、相手はせめて来ないと期待しているのだ。 

それでいて、万一中国が攻めてきたら、その時は米国が守ってくれる。軍事は米国に任せればいいと、根拠のない期待感に身をゆだねる。当事者意識が乏しいのだ。それだけ憲法9条は国民の間に「定着」してしまった、とも言える。 

イザという時に本当に米国は、自国の若者の生命を危険にさらしてまで日本を守ろうとするだろうか、と疑問を持たない。それで大丈夫だろうか。

もちろん、日本にも中国の軍事力増強の意図や長期戦略を具体的に考え、論文に書いている研究者や学者は存在する。しかし、大手メディアにはそうした意見や論考はあまり登場しない。中国を尊重し、和解し、対話を続けることを説く意見が幅をきかせている。

こうした風潮は戦後ずっと続き、日本の言論界、マスコミに定着している。だが、そろそろ、こうした一方的な思いこみは止めにすべきだろう。

こちらが軍事力を整備し、その事実を正確に(中国など)相手に伝えたほうが、相手も日本を攻められず、結果として平和が維持される。そうした逆説は欧米はじめ世界では常識なのだ、ということを広める時だ。


編集部より:この記事は井本省吾氏のブログ「鎌倉橋残日録 ~ 井本省吾のOB記者日誌」2015年3月10日の記事より転載させていただきました。快く転載を許可してくださった井本氏に感謝いたします。オリジナル原稿を読みたい方は鎌倉橋残日録 ~ 井本省吾のOB記者日誌をご覧ください。