ナショナリズムからアナーキズムへ - 『カリフ制再興 』

池田 信夫



「イスラーム国」と自称するテロリストを理解することは困難だが、本書は彼らが何を考えているのかを(彼らの立場から)書いている。前半はイスラームの難解な教義だが、後半は私が『資本主義の正体』で論じたのと同じグローバル化の問題を論じている。本書はこう結ばれる:

これからの世界は、カリフ制再興という未完のプロジェクトと共に、1648年のウェストファリア条約によってキリスト教西欧に成立し世界を覆い尽くした領域国民国家システムの緩やかな解体局面に入っていく。

この後半の現状認識は、私もおおむね賛成だ。いま中東で起こっているイスラームの拡大は一過性の混乱ではなく、近代の主権国家という矛盾したシステムが自壊する過程である。近代世界の貧困と不平等を生んだのはグローバル化ではなく、資本と物を自由に移動して人の移動を禁じる不十分なグローバル化なのだ。

「ナショナリズムとは、18世紀に生まれた部族主義の新たな形態である」(p.185)。それは「法の支配」と自称しているが、実態は国家や企業などの法人という擬制で統治する「人による人の支配」である。イスラーム(スンナ派)はそれを破壊し、全世界で唯一の普遍的な法の支配をめざすのだ。

この批判は本質的だが、その代わりに著者が提示するのは、すべての国境を廃止したアナーキズム、言葉を変えるとカリフという唯一の君主の統治する世界政府である。そういう理想は新しいものではなく、カントの時代からあったが、実現したことはない。ヨーロッパを統合しようとしたナポレオンやヒトラーがもたらしたのは、恐るべき世界大戦だった。

つまり著者が夢想する「グローバルなカリフ制」は、西欧世界でさんざん試みられて悲惨な結果に終わった誇大妄想の繰り返しなのだ。そこには資本主義という成長のエンジンが欠けているので、全世界の人々がスンナ派イスラーム教徒に改宗しない限り――幸いなことに――カリフ再興が失敗するのは確実だ。

本書を読んでイスラーム国に共感する人はいないと思うが、彼らを少し理解できるような気がする。むしろ西欧的な意味でわかりやす過ぎるところが、本書の落とし穴ではないか。たとえばイスラーム法の支配はrule of lawとは似て非なるものだが、著者はそれを西欧的に理解して、イスラームの西欧に対する優越性を論じている。

ただ21世紀がナショナリズムからアナーキズムへの移行期だという不吉な予言は、当たるかもしれない。金融資本は国家を超えてオフショアに逃亡し、EUでは移民が激増して「ヨーロッパ」というアイデンティティをゆるがしている。世界に遍在するムスリムがドローンなどのハイテクで武装し、西欧的な世界秩序に挑戦する日が来る可能性もある。