人間が人工知能に越えられる時 --- 井本 省吾

アゴラ

今日2日の日本経済新聞の連載記事「革新力」によると、米グーグルで人工知能(AI)研究を率いる発明家、レイ・カーツワイル(67)は今から30年後の2045年にはAI(人口知能)は人間の脳を超えると予想している。


理由の一つは18カ月ごとに半導体の処理能力が倍になるという「ムーアの法則」。それに従えば、45年ごろ人間の脳と人工知能(AI)が逆転する。自動車なら「人間の運転の方が危険」となるという。

何をもって「人間の脳を超える」か、その定義は難しい。一定時間内の計算速度ということなら、すでに30~40年ほど前に、人間はコンピューターに超えられた。膨大なデータを記憶する能力もはるか昔に超えられている。

記憶した情報を瞬時に取り出し、提示する能力もすでにケタ違いだ。パソコンでキーワードを打ち込めば、そのキーワードについての解説が瞬時に画面に映し出される。英語の意味がわからなくても、辞書で調べる必要はない。あらゆる英語の意味が画面に出て来て、典型的な使用法まで出てくる。紙製の辞書や辞典が売れなくなる道理である。

30年前と今を比べると、情報獲得という点では驚くほど便利になった。30年前なら我々新聞記者は、ちょっとした事実を確認、調査するために資料室や図書館に行って、事実が載っていそうな資料、辞典、専門書、新聞縮刷版を漁らなければならなかった。それにかけた時間は膨大だった。

だから、これから30年後に驚くような人口知能が誕生するだろうという予想は十分、納得できる。自動車なら「人間の運転の方が危険」となるということはもちろん、ありうるだろう。様々なセンサーは人間の目よりもはるかに精密に歩行者や対向車、道路周辺の建物、路面の状態をとらえよう。センサーと連動した車内のAIの自動操作能力も人間より優秀だろう。

このほか、記事の登場した日本IBMの専門家によると、30~35年後の世界は次ぎのように描かれる。

身につけたスパコンが体調変化を察知して急病から命を救えるようになる。補聴器用の小型電池で動くチップは開発済みだ。切手と同サイズで消費電力はスパコンの2億分の1。数万個つなぐと人間の脳と同等の性能が確保できる

工場の無人運転はもちろん小売店の接客もロボットが担う時代になる。企業はネット上のつぶやき分析や天候の中長期予報などを踏まえて増産か減産かの判断を瞬時にできる。……「品切れ」「在庫処分の特売」などの概念も消える

なるほど。そのころ、私はほぼ間違いなくこの世にいないだろうが、後世の人間たちは、AIに今ある仕事を奪われ(あるいは任せ)、どんな仕事や遊びをしているのだろう。

なにもやることがなくなり、日がな一日、のんべんだらりと過ごしているのか。あるいはSF映画に出てくるように、優れたAIを持つロボット群に支配され、奴隷のような生活を送っているのだろうか。

たぶん、そうはならないだろう、と私は楽観している。人間は現在と同様にロボットをフル活用しながら、ロボットにできない未知の仕事を発見し、新たな楽しみを見出しているに違いない。

たとえ、ロボットより劣っていても、楽しみは見出せる。例えば、我々はプロの野球やテニスの選手よりもはるかに技術は劣るが、今でも草野球や素人同士のテニスを楽しんでいる。

囲碁や将棋もいずれ、AIに負けるかも知れないが、それでも人間同士の試合は続くだろう。

それに加えて、ロボットのやらない(やりにくい)ものも見つけ出すのではないだろうか。新商品、新技術の発掘、商品の新デザインの創出、俳句、和歌、詩、音楽の作成。いや、それすら過去の膨大なビッグデータを駆使し、人間よりも魅力的な作品や作曲、作詞をしてしまうかも知れない。

いや、それでも、次の楽しみを発見するが人間だと、私は思っている。AIやロボットの能力を十二分に活用しながら、活動領域を広げて行くと楽観している。


編集部より:この記事は井本省吾氏のブログ「鎌倉橋残日録 ~ 井本省吾のOB記者日誌」2015年4月2日の記事より転載させていただきました。快く転載を許可してくださった井本氏に感謝いたします。オリジナル原稿を読みたい方は鎌倉橋残日録 ~ 井本省吾のOB記者日誌をご覧ください。