1980年代後半、日本企業は海外不動産投資に走りました。千代田区一つでヨーロッパの国が買えるとか、山手線の内側の土地の価値はアメリカ全土と同じだという狂った時代がなぜ起きたのでしょうか?その頃、不動産開発事業本部に籍を置いていた私はバブルの申し子でありますが、一言で言えばマネーの行方の問題だったと記憶しています。
当時、国内ではゴルフ場を持つことが一部経営者の一つのステータスでした。ゴルフ場の所有とはゴルフ会員権ではなく、ゴルフ場そのものであります。海外から成田空港に降り立つ時、眼下にはいくつものゴルフ場が目につきますが、それらはその当時の「産物」であります。その眼下に見える一つで100億円も投入した自社開発案件に私はうら若き頃、現場サイドから2年ちかく尽力いたしました。
しかしながらゴルフ場は開発するのに時間と手間とカネがかかります。それ故、次にマネーが向かったのがホテルであります。ホテルの「ホ」も知らない企業が様々な海外のホテルを買いました。私が不動産事業部から秘書になり、経営トップがホテル事業にのめりこんでいくのを目前で見続けたという意味では私ほどのバブルまみれはそうそういないと思います。
アメリカの歴史に残るニューヨークのプラザホテル。当時、私が勤める会社が所有し、私は秘書として何度か泊まりましたが余りの格式に肩が凝り、やはり会社が所有していたブロードウェイの中心街に近い1902年オープンのよきアメリカの雰囲気が残るアルゴンキンホテルの方がずっと気楽でした。
当時の私のボス、つまり会社のオーナーは世界中で80以上の超高級、著名で素晴らしい価値あるホテルを所有し絶頂期でありましたがそのカギは無担保社債の度重なる発行によりチープなマネーを取り込み、会社のバランスシートを膨らませ続けることができたからであります。
金利が低く、金融緩和をすれば当然マネーは不動産に向かいやすくなります。幸いにして日本もアメリカもヨーロッパも不動産バブル崩壊という手痛い経験をしているため、不動産に向かうマネーは以前ほどの勢いがありません。
私がバンクーバーで開発した物件の一つ、レストランとオフィスの二階建て建物(延床400㎡程度)の物件は97年頃1億5000万円程度で売却しました。その後、何度か所有者が変わり、現在の中国人の所有者は4億円で入手したそうです。利回りというような尺度は全くありません。買えるから買うのであります。その氏はカナダにあるアメリカの飛び地、ポイントロバーツで不動産開発物件を手がけています。「売れるのかい?」と聞けば「中国人がどんどん買う」と言います。理由はアメリカとカナダが中国人に10年間有効の数次ビザを発給するようになったからであります。
人口1000名強、学校は無し、レストランが数軒あるだけの何も面白くないこの飛び地に億単位の投資をする中国人を見ると中国から行方をなくしたマネーが雪崩のように入り込んでいることに確信せざるを得ません。しかし、なぜ、それほどのマネーが中国から流れ込むのか、それは中国国内に還流せず、資産の分散化を進めているからであります。その理由に理財商品のような不動産目的の高利回り商品のリスクが顕在化した可能性は大いにあるでしょう。
問題は中国人がつける高い値札が不動産取引価格の実勢となり、不動産価値そのものを引き上げてしまうのです。カナダの業者はそれらの動きに驚きと共に降ってわいたチャイニーズマネーにNoとは正面切ってはいいません。アメリカでも同じでしょう。
しかし、マネーと世論はいつか反転することがあります。その時に食い散らかした不動産の後始末をするのは中国人ではなく、カナダ人、アメリカ人であります。今の市場を見ていると私が秘書時代にプラザホテルのレストランで周りのエスタブリッシュされた客とは明らかに雰囲気が違うマネーだけでのし上がった居心地の悪さを思い出してしまいます。あの当時の鼻息の荒い日本と中華マネーは同じ道を辿るのでしょうか?
今日はこのぐらいにしておきましょう。
岡本裕明 ブログ外から見る日本 見られる日本人 4月3日付より