ヨセフとマリアの「イエス家庭」の謎 --- 長谷川 良

アゴラ

6日はイースター月曜日でカトリック教国オーストリアは祝日だった。当方は5日、毎年の慣例だが、ローマの復活祭の記念礼拝をオーストリア国営放送を通じてフォローした。復活祭の日曜日は朝から雨が降り続いていたが、サン・ピエトロ広場には世界から多数の巡礼者たちが集まり、ローマ法王フランシスコが主礼する記念ミサに耳を傾けていた。テレビのアナウンサーが「法王がスピーチする頃には天気は良くなるでしょう」と述べていたが、残念ながら、法王がサン・ピエトロ大聖堂から広場に集まった信者たちに向かって「Urbi et Orbi」(ウルビ・エト・オルビ)の公式の祝福を行う時にも雨は降り続いていた。


復活祭はイエスが十字架にかかり、死去3日後、復活して蘇ったことを記念するキリスト教最大の行事だ。サンピエトロ広場にはイエスの十字架像が大きく飾られていた。そのイエスの姿を見る度、当方は違和感を感じるのだ。多くのキリスト者はイエスは私たちの罪を清算するために十字架上で亡くなった。だから、その十字架を仰ぎ、信仰すれば救われると信じてきた。本当だろか、という思いが常に持ち上がってくるからだ。

当方はこのコラム欄で、「イエスの父親はザカリアだった」(2011年2月13日)を書き、イエスの父親は祭司ザカリアであり、マリアの処女懐胎で誕生したのではないと指摘した。関心のある読者は再読して頂きたい。今回はその補足として、イエスの家庭、父ヨセフと母マリアについて述べてみたい。

カトリック教会は3月19日を「聖ヨセフの日」として記念している。フランシスコ法王はヨセフを「強く、控えめな男」と称え、自分の事務所のテーブルにヨセフの絵を置いているという。一方、イエスの母親マリアは聖母マリアと呼ばれ、キリスト信者たちの母親であり、癒しを与える女性のシンボルとして愛されてきた。熱心なカトリック教国ポーランドでは聖母マリアを“第2キリスト”として神聖化しているほどだ。

すなわち、イエスは「聖ヨセフ」と「聖母マリア」の家庭で成長したことになる。それではイエスの幼少年時代から青年時代まで幸福な家庭生活を過ごしたのだろうか。新約聖書には若きイエスの言動はほとんど記述されていない。30歳から十字架で亡くなる33歳までの3年間の歩みが主に書かれているだけだ。イエスが父ヨセフに愛され、母マリアに大切にされたということを裏付ける箇所は聖書では見当たらないのだ。

イエスが漁夫や売春婦に福音を述べている時、弟子が「お母さんが外で呼んでおられます」と言ってきた。その時、イエスは「私の母、私の兄弟とは誰のことか。見なさい、ここに私の母、兄弟がいる。神の御心を行う人こそ、私の兄弟、姉妹、また母なのだ」(マルコ福音書第3章)と返答している。ガリラヤのカナの婚礼では、葡萄酒を取りに行かせようとした母マリアに対し、イエスは、「婦人よ、あなたは私と何の係りがありますか」(ヨハネ福音書第2章)と述べ、親族の結婚式のために没頭するマリアに不快の思いすら吐露している。

マリアはイエスが神の祝福を受けて誕生したことを知っていたが、月日が過ぎ、ヨセフとの間で子供(ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンなど)が生まれたこともあって、イエスの言動が次第に理解できなくなっていく。一方、ヨセフはイエスが神の聖霊で誕生したと聞かされてきたが、月日の経過と共にイエスの父親のことを考えるようになっていった。一体、誰がイエスの父親か、ヨセフは常に自問してきたはずだ。

イエスは家庭では決して幸せでなかったのではないか。兄弟姉妹と自分は違うこと、養父のヨセフと、ヨセフを気にする母マリア、そのような家庭環境下でイエスは成長していったと考えて大きな間違いはないだろう。

カトリック教会はヨセフを聖ヨセフと称え、マリアを聖母マリアと崇めてきたが、聖ヨセフと聖母マリアの父母のもとで成長したイエスが淋しい幼年時代、青年時代を過ごさざるを得なかったとすれば、何があったのか。イエスは祭司長、律法学者から罵倒されただけではなく、家庭でも孤立していたのではないか。

イエスは福音を伝えようと律法学者や祭司長に接近したが、悪霊の頭べルゼブルに取りつかれた人間として罵倒された。イエスを信じたのはモーゼの5書すら読んだことがない漁夫や売春婦たちだけだった。そして十字架の道を行かざるを得なくなっていく。そのプロセスはマタイ、マルコ、ルカの共観福音書を読めば理解できる。

明確な点は、イエスは33歳で十字架で死去するために降臨したのではなく、生きて福音を述べ伝え、世界の道ローマにまで拡大する願いがあったはずだ。その夢が実現できなくなった時、イエスはゲッセマネで涙の祈りをされ、人類救済のため十字架の道を選ばれた、というのが事実ではないだろうか。

ちなみに、十字架に行くことを決意したイエスを止めようとした弟子に対して、イエスは、「サタンよ、退け」と激怒する聖句がある。その聖句を根拠に、「イエスの十字架は神の計画だった」と主張する学者がいるが、それはイエスの内面の葛藤を無視した早計な解釈だ。

もし、多くのキリスト者たちが信じるように、十字架で亡くなることで人類を救済することがイエスの願いだったとすれば、ゲッセマネで祈祷することなく、意気揚々と十字架に行けばよかったはずだ。

独の鉄血宰相と呼ばれたオットー・フォン・ビスマルク(1815~98年)は、「イエスの山上の垂訓(マタイ福音書5章から7章)では世界を救済できない」と皮肉まじりに語った。イエスは「山上の垂訓」だけではなく、その精神を具現化した地上天国を建設したかったはずだ。

キリスト教会は十字架の死がメシアとして降臨したイエスの使命だったと受け取り、これまで宣教してきた。そして、イエスの十字架救済を正当化するために、イエスの家庭の謎を葬ってきたのだ。マタイ福音書第1章を開いてみてほしい。神は人類の救い主イエスを妾の血統から誕生させたのだ。この謎を解明すべきだ。

イエスの十字架を信仰すれは救われると主張してきたキリスト教会で罪が完全に清算された人物がいただろうか。聖職者の未成年者への性的虐待事件を指摘するまでもないだろう。“聖パウロの嘆き”を想起して頂きたい。聖人と呼ばれたパウロですら、自身が依然罪の中にあると告白しているのだ。すなわち、聖パウロは十字架信仰では救われないことをはっきりと認めているのだ。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2015年4月7日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。