長期金利ターゲット (訂正後)

小幡 績

今日は、日銀政策決定会合の二日目で、黒田総裁の記者会見がある。

一部に追加緩和の期待があるが、その予想、是非については今日は論じないことにして(私はないと思うし、するべきでもないと思っているが)、今後の日銀の政策のオプションについて考えたい。

追加緩和が難しい、というのは、技術的な面、あるいは物理的な面、と言っていいかもしれないが、超えられない障害がある。

それは、買う物がない、ということだ。これ以上、国債を新規に購入する量を増やすことは難しいということだ。したがって、追加緩和を、国債買い入れ額の拡大ということで行うことはできない。

もう一方で、2年でインフレ率2%の達成という目標の実現困難が明らかになっている。

日銀の「新」出口戦略とは、量的緩和の縮小ということではなく、2年で2%の公約から、どのように抜け出すか、ということをいまや意味すると言った方がいいだろう。

これも難しい。

2つの困難に直面している。

では、どうするか。


これに対しては、量的緩和の量のターゲット、マネタリーベース拡大、マネーサプライ拡大という考え方から、長期金利ターゲットに移行する、という手段が、BNPパリバの河野龍太郎氏によって予想されている。(当初、提案と書きましたが、これは私の間違いで、河野氏は、日銀が、そうせざるを得ない状況に追い込まれる、という「予想」をしているのであって、提案もしていないし、いいことだと思っていない、ということです。お詫びして訂正させていただきます。すみません。)

これは、実は、私も、13年前に、日銀の量的緩和が始まった頃、また、5年前に、世界的に量的緩和が流行し始めた中で、提案したことがある。

金融政策とは、金利のコントロールである。だから、量的緩和は邪道であり、異常なのだ。しかし、ゼロ金利になっては仕方がない。量に行くしかない。短期金利がゼロならば、とことんゼロになるように、ゼロから動きようがない、金融政策の変更もすぐにはできないように、量を日銀に積ませたのだ。そこへ、時間軸効果を導入した。将来の短期金利にコミットすることによって、要は、ゼロ金利解除の裁量を自ら捨てることによって、将来の政策金利上昇を押さえ、短期金利のゼロの継続を投資家に信じ込ませ、それにより長期金利の引き下げに波及させたのである。

実質的には、時間軸効果を確かなものにする、それに物理的な目に見える保証、言葉の保証ではなく、物理的な保証を行ったのが、「元祖」量的緩和だったのだ。さらに、時間軸効果は、日銀の発明で、その後、FEDのフォワードガイダンスに受け継がれた。

その意味で、白川総裁が、日銀が世界で最もイノベイティブ(福井総裁時代から)と説明しているのは、まさにその通りなのだ。

さて、そのとき、イノベイティブであるよりも、基本に戻って、金利に戻ったらどうか、と考えた。

つまり、短期金利がゼロになっても、長期金利はプラスである。したがって、短期金利はまさに金融政策のターゲットになったのだから、長期金利もターゲットにしていいのではないか。実体経済においては、長期金利が借り入れ金利のベースになっているからむしろ直接的な景気刺激策になるのではないか。良いことづくめではないか。量的緩和で得体の知れない未開のリスクを背負うよりも、王道に近い金利で行くべきではないか。

この考えは、理論的に正しい面もあるが、理論的にも、現実的にも問題がある。

理論的な問題点は、第一に、日銀が政策手段とするべきものは、自身でコントロールできるものでなくてはならない、ということである。これは政策の基本中の基本だ。経済成長率にコミットするべきでなく、成長戦略が意味がないのは、実現する手段がないからで、一方、財政はまさに政策手段なので、そちらを優先するのが王道であることと同じだ。

短期金利は、日銀がコントロールできる。だから、まさにこれを政策変数、ターゲットにしている。約束に対して責任が果たせる。

一方、物価は微妙だ。物価のコントロールは目標であって、手段ではない。だから、インフレターゲットはおかしいとも言える。時間に関するリスクは、経済全体で、経済主体が決めるべきものであり、実際、彼らが決めている。日銀としては、それを目標とするが、手段ではない。目的ではなく、目標であり(目的は日本経済の健全な発展だ。それに資するために、物価をコントロール目標とする)、完全にコントロールできるなら、目標になり得ない。

さらに、期待インフレ率をターゲット、さらには、目標にすることは、妥当でない。それに対する、手段を持たないばかりか、期待インフレ率の正確な計測も難しく、また、それに影響を与える理論的ルートも不明確であるからである。デフレマインド脱却、というおまじないが効くかどうか、国債の大量買い入れという、おまじないの物的支えというか、物理的なおまじないが効くかどうかにかかっている。実際、少しは効いたのだが、その効き目は薄れてきている。自己暗示だから、効かなくなったら効かないのだ。

米国FEDのフォワードガイダンスは、誤解されているが、将来のインフレ率の見通しを示したものではない。将来の金利の見通しである。まさに、それは自分たちの操作変数なのである。ましてや、期待インフレ率をコントロールしようとすることなど、あり得ないし、目標にはなり得ないのだ。

さて、長期金利はどうか。

長期金利とは、短期の金利の足し算である。短期の金利がコントロールできるならば、インフレや期待インフレと違ってコントロールできるのではないか。

間違いだ。

間違いの原因は、長期金利は短期金利の足し算ではないのである。短期の足し算に、将来という時間のリスクを足さなくてはいけないのである。そして、そのリスクに対する値付けを行っているのが、長期国債市場なのである。日本政府の財務リスク、日銀の政策変更リスクを除いた、本来であれば、市場経済全体の、金融市場も実体経済も含めた、経済全体の将来へのリスク見通し、リスク許容度の値付けを行っている市場であり、経済においてもっとも重要な市場なのである。

だから、この市場の機能を失わせるような、長期金利コミットメント政策は、理論的に行うべきではないのである。

日銀は何のためにあるのか。金融市場を機能させて、経済全体を健全な発展へと導くためにある。

その日銀が、もっとも重要な、金融市場の機能を失わせる、長期金利の固定化をすることは、まさに王道に180度背くことになるのである。だから、やるべきではないのだ。

量的緩和も、白川時代は、市場に影響を与えないように行った。株式の購入も、長期国債の購入も、価格に影響を与えないように行ったのである。正確に言えば、民間経済主体により、効率的な価格形成が行われるように補助したのである。

ECBも同じだ。パリバショック、リーマンショックで、金融市場が機能不全に陥ったので、効率性を失った市場に介入して、リスクがあると思われ取引が凍結してしまった証券を買ったのであり、ドイツ国債は市場が機能しているから買う必要がなかったのだ。

しかし、白川方式は、せっかく量的緩和をしても辛気くさくて効果がない、と言われた。彼らは、国債の価格暴騰、株価の暴騰のための量的緩和を期待しているから、当然、白川総裁は、それをまさに避けるために、政策を行っていたのだから、当然、彼らの望んだ効果はなかったのだ。効果ではなく悪影響だからだ。

さて、現在も、量的緩和が行われ、長期金利コミットメントが行われないのは、相対的に、前者の方が、まだ、市場の機能を残しているから、という面があると思われる。実質的に、株価を上げ、長期国債の値上がりによりイールドカーブをフラットにすることを、まさに狙って現在の量的緩和は行われているのであるから、市場に介入しているのであり、白川緩和とは異なる。だから、もう終わりか、というと、市場参加者のリスク取引市場になっているという意味では、市場の機能も阻害されてはいるが残っている分、長期金利コミットメントよりはましなのだ。

ただ、現実的には、上でも少し触れたように、リスクテイクの値付けが行われているが、それは金融市場における純粋な将来という時間に対するリスクではなく、日銀の将来の政策変更のリスクに対する値付けなので、市場は別のリスク市場になっていて、機能していない、とも言える。

それならいっそのこと、長期金利コミットでいいのではないか、という議論もありうる(ここも訂正しました)。

しかし、現実的な問題は、長期金利ターゲットを行うと、短期のトレーダーは、そこをめがけて、今まで以上に、トレードを仕掛けてくる可能性が高い。それが怖いのだ。固定為替相場の維持が、トレーダーにより破壊されるのと同じで、さらに、その破壊時には経済が大混乱するという意味で、長期金利コミットメントは、現実的にはリスクの高い政策なのである。

ただし、現実に将来打ち出される日銀の政策変更は、遙かにリスクの高いものになるかもしれないが。