都構想5:藤井はん こんな「ジョーク」もありまっせ!

北村 隆司

統一地方選も終ったが、都構想の行方は未だ皆目見当もつかない。

世界は複雑で、短期的には良くとも長期的には問題があったり、住民には良いことでも国からすると好ましくない事など、何事にも良い部分とそうでない部分があり、如何なる改革案でも全て良しとは行かず、全体を俯瞰して優先順位をつけて取捨選択せざるを得ない。

大阪都構想もその例外ではない。


報道番組に出演した藤井教授の都構想反対論は、この複雑な問題をイメージ化し簡単な例え話で説明する場面が多いが、これは問題の全体把握を妨げる危険な論法で、特に学問の世界では避けるべき手法である。

その事を示唆したジョークがあるので、紹介しておきたい。

ある大学の医学部の講義で、教授が「人間の身体の部分で、状況によって六倍の大きさになるところは?」と学生に質問をしたが、だれも手を挙げない。
そこで教授は、最前列に座っていた美人の学生に答えるように促したが、彼女は真っ赤になってうつむいてしまった。
「誰か、わかる者はいないか?」
と教授が促すと、後ろのほうの男子学生が立ち上がって「教授、其れは瞳孔です」と答えた。
「良く予習して来たね」教授はそう彼を褒めた。
教授は教壇に戻る途中、先ほどの女子学生の前で足を止め、次のように言った。
「君に言っておきたい事が三つある。
第一に、私の授業に出る時は予習をよくしてきたまえ。
第二に、先入観を持つのは良くないことだ。
第三に、過大な想像は、もっとよくない事だ」

この教授の示唆は、藤井教授への警告としてもピッタリである。先入観にとらわれた物の見方を「色眼鏡」とも言うが、色眼鏡をかけた人との論議は「くたびれ儲けの銭失い」の典型である。

この事については、こんなジョークがある。

おれの友達が「イタリア飯は、ポーランド飯に比べると遙かに良い」と言うので、「それはお前の意見に過ぎない」と言ってやったんだが、彼は「俺の意見は間違いない事実なんだ」と言い張るんだよ。

この「友達」が誰に似ているかは、読者の判断に任せる事にしたい。

先ほどの医学部の教授は「第一に、私の授業に出る時は予習をよくしてきたまえ」と言ったが、「特別会計」の性格や「金利項目」を理解できない藤井教授への示唆で、「大阪都構想は、無駄を増やすだけでなく、大阪市民の分け前を大阪府民に横流しする」として反対する事は予習不足そのものである。

藤井教授の勘定方式は、むしろ次のジョークに似ている。

ある酪農家がその死に際して、三人の息子に17頭の乳牛の内、長男には半分、次男には三分の一、末っ子には九分の一相続させる事を指示した。ところが、指示通りには割り切れない問題が生じた。
三人が喧嘩を始めたのを見かねた叔父が、自分の乳牛を一頭提供する事にした。18頭になればすっきり割り切れる。長男が18頭の二分の一、つまり9頭を受けとり、次男は三分の一だから6頭、末っ子は九分の一の2頭を受け取った。整理すると、9頭+6頭+2頭、合計17頭と言う事になった。叔父は嬉しそうに自分の乳牛を引き連れて自宅に帰った。

何事につけ国と言う名の「叔父」の「関与」を求める藤井教授は、この「乳牛勘定制度」を大阪に導入すべきだと言う意見だろうか?

大阪に限らず、日本の統治制度には多くの無駄がある事は誰にも異存ないと思うが、現在の統治制度を物語るジョークには、

モスクワの広い通りの真中で二人の労働者が働いている。一人が穴を掘る。もう一人がその穴を埋める。一ヵ所が終ると数メートル動いてまた穴を掘る。もう一人が穴を埋める。その繰り返しである。イギリスの観光客が不思議に思って尋ねた。「何をしているの。あんた達はケインジアンか?」労働者は答えた。「ケインズってなんだ。いつもは三人一組で働いている。一人が穴を掘って、二人目が苗木を植える。そして三人目が土をかける。今日は二人目の苗木の担当が風邪を引いた。だから二人でやるしかない」

と言うのがあるが、これは、公務員が与えられた役割さえ果たしていれば、どんな無駄があっても咎められない大阪の統治制度に似ている点で、モスクワに限らず大阪でも大手を振って闊歩している欠点で、このような制度上の欠陥を正す事も大阪都構想の目的である。

この改革を否定する藤井教授は、医学部教授の「第二に、先入観を持つのは良くないことだ」と言う教訓に耳を傾けて欲しい。

食糧難に直面した終戦直後に、こんな話があった。

吉田茂が「450万トンの食糧を緊急輸入しないと国民が餓死してしまう」とマッカーサー元帥に訴えたにも拘らず、70万トンしか輸入出来なかった1950年。

マッカーサーが「70万トンしか許可しなかったが、餓死者は出なかったではないか。日本の統計はいい加減で困る」と苦言を呈すると、吉田はすかさず「当然でしょう。日本の統計が正確だったら戦争などしていません。また統計通りだったら日本の勝ち戦だったはずです」と応え、マッカーサーも大笑いしたそうだ。

「大阪都構想が実現すると大阪人は地獄に行く」と言う藤井教授の恫喝は、このエピソードに似て信用出来ないだけでなく、医学部教授の「第三に、過大な想像は、もっとよくない事だ」と言う警告がぴったりだ。

人口減少と老齢化が益々進む大阪で藤井教授の主張通り改革を怠ると、誕生祝のケーキ代よりローソク代の方が高くつくだけでなく、一気に火を吹き消す事が難しい年代が急速に増え、社会保障と言う難問解決が更に遠ざかるばかりである。

大阪の現在は、原始共産社会の酪農のように「2頭の乳牛を持っている農民が、その牛を隣人と一緒に育て、ミルクは皆で平等に分け合っていた」時代とは異なり、現実には、「まず、『デリバテリブ』で2頭の乳牛を3頭にし上場会社に売りつける。其の後、『デッド・エクイテイ・スワップ』を使って牛を4頭にして買い戻す。次に、政府に6頭分の牛取引の免税措置を講じて貰った上で、牛を『肉』と『ミルク』の二つに分け、6頭分のミルクを受け取る権利をケイマン諸島の系列企業に売りつける。勿論、買い戻す時には7頭分の権利になっている。最後に、全てのリスクはCDSでヘッジされている事をアナリストと格付け会社に伝え、年次報告に『8頭の乳牛を持っている』と記載し、更に『オプション』でもう1頭持つ事も出来ると追記する」と言う悪しき金融イノベーションに襲われている。

この現実に迅速に対応できる統治制度の構築は、大阪にとって喫緊の課題である事を藤井教授にも理解して欲しいものである。

注:例え話の危険性を上手に説明した「shinzorの日記」と言うブログを添付しておきます。

2015年4月14日
北村 隆司