トリクルダウンは常にある --- 井本 省吾

アゴラ

前回、企業業績の回復による賃上げが株価を上昇させ、さらに景気を上昇させていることを書いたが、「賃上げできるのは一部の大企業だけで、中小企業の賃上げは進んでいない。非正規社員も同じで、格差が拡大している」という議論がある。


アベノミクスで円安になって業績が伸びているのはトヨタ自動車などの輸出大企業で、その従業員の賃金は伸びても下請けの中小部品・素材メーカーには回って来ない。まして、非正規の従業員にはおこぼれは来ないと。

「トリクルダウン」理論(仮説)というのがある。豊かな人々(企業)がもうかれば、遠からずその富は所得の低い層にも落ちてきて(トリクルダウンしてきて)全体が豊かになるという話である。だが、格差拡大論者は、今の日本でトリクルダウン効果はほとんどないと反論する。

経済学界でも、トリクルダウン理論は明確な証拠、データを挙げられないので、理論というより仮説という方が適切とのいが多数意見らしい。

だが、経済学的にはともかく、自由市場経済下では大なり小なりトリクルダウンがあると考えるのは至当ではないだろうか。

株価が上がって、富裕な資産家や小金持ちが増えれば、高級車やブランド物の衣料、バッグ類、家具の購入、高級ホテル・レストランの利用をふえて、その生産者や販売・サービス業者の従業員に金が回る。おこぼれがないはずはない。
おこぼれを得た中・低所得の勤労者はふえた所得を使って買い物するから、そこからまたトリクルダウンが低所得層へと広がって行く。

企業間での伝播はどうか。

トヨタは2008年秋以来のリーマン・ショック以来、乾いたタオルを絞るように、下請けメーカーにコスト削減を要請した。年率3%にも上るコスト削減という話である。搾り出すような改善努力、創意工夫がなければ達成できる水準ではない。要求についていけず、取引から脱落した企業も出ただろう。

それを苛酷だと非難することもできよう。だが、市場競争は犠牲を伴う。厳しい試練に耐える企業が生産性を上げられるのであり、すべての関連企業を保護していれば生産性は容易に高まらない。ライバルとの競争にも勝ち残れない。

ただ、競争は終わりの無いマラソンのようなものであり、頂点に立つ大企業はマラソンについて来る関連企業を大事にする。トヨタだけではない、多くの日本企業は、その方針で信頼できる企業との長期取引を大切にしてきた。

厳しいコスト削減と円安によってトヨタの業績は2013年来、急回復し、2015年3月期には過去最高の経常利益を達成した。それに伴い、今期は納入価格の値下げ要求はしないという。納入業者は自社のコスト圧縮分をすべて利益に計上できるわけだ。

それはトヨタ山頂の水源から落とされる豊かさのトリクルダウンである。実際、先日会った某車載用電子部品メーカーの幹部は「トヨタの値段据え置きで経営が楽になった」と話していた。

もっとも、経済のグローバル化で、工場の多くは中国や東南アジアなど海外に移転してしまっている。その分、日本企業(日本人)のおこぼれ、トリクルダウン効果が薄れているのは確かである。

しかし、中国、台湾、韓国、タイなど経済成長を続け、豊かさが増したアジアの富裕層や小金持ちは今、円安をテコに日本観光に押し寄せ、信頼性の高い品質の日本製品を「爆買い」している。アジアからのトリクルダウンである。海外に工場進出した日本企業の収益も増し、配当などの形で日本に還元されている。

もちろん、トリクルダウンがあっても格差がなくなるわけではない。格差是正には累進課税や相続税、固定資産税の適切な徴収が必要だし、失業対策や生活保護の整備も望まれよう。

それと同時にトリクルダウンが広がるように、市場経済の活性化も大切だ。農業や建設、医療・介護などでの過保護行政で続けていると、一部の既得権者に不明朗な富が蓄積し、有能な事業家や働き手へのトリクルダウンを減らしてしまう。新産業や創造的な商品が生まれにくくなる。

規制緩和、行政改革を進めねばならないといわれるゆえんだ。その点、安倍政権は「岩盤規制にドリルを開ける。聖域はない」などと言っている割に、実行はまだまだ不十分と言わざるを得ない。


編集部より:この記事は井本省吾氏のブログ「鎌倉橋残日録 ~ 井本省吾のOB記者日誌」2015年4月13日の記事より転載させていただきました。快く転載を許可してくださった井本氏に感謝いたします。オリジナル原稿を読みたい方は鎌倉橋残日録 ~ 井本省吾のOB記者日誌をご覧ください。