日本の論議2:「漢江の奇跡」と日本の貢献

北村 隆司

「日本よ『漢江の奇跡』を侮辱するな!」と言う朝鮮日報の対日抗議は、韓国の「恨」の文化と日本の「感謝」と「お互い様精神」を大切にする文化との違いを如実に物語っている。

だからと言って、日韓のいざこざを全て文化の違いだと片づけてしまえば、日韓の懸案は何一つ解決せず、後世の為にもこの上もない不幸である。

この難しい課題を解決する為には、どちらかが大人になる必要があるが、その役割は日本が果すべきであろう。

それでは「大人」とは何か? と問われると、答えは意外に難しい。


そんな時、チキリン氏の「精神的に大人であるための3つの条件」と言うブログ記事の“大人の定義”が参考になった。

この定義に依れば、「不満を感情に表さず、自分の理解が不十分である事を認識し、他人の意見や異論に耳を傾け、多様な見方がある事を認識する人」を大人と言い、「不満を感情にぶつけ、単純な知ったかぶりで、自己中心的で多様性を理解しない人」が子供となる。

こう言われると簡単だが、チキリン氏の解説を読むと「大人」になるにはそれ相当の努力が必要な事も分かってくる。

そこで、出来るだけ大人になって「漢江の奇跡」と日本の貢献を論じてみたい。

数多ある「漢江の奇跡」への日本の貢献の代表例が、「地下鉄建設」だと思っていたが、「韓国の地下鉄1号線の開通写真」を掲載した日本の外務省の広報に、朝鮮日報が激しく噛み付いた事例を目の当たりにすると、韓国の対日感情の悪さが尋常でない事が判る(拙稿「日本の論議:『漢江の奇跡』を侮辱した朝鮮日報」参照)。

地下鉄1号線の建設経過は資料も豊富で客観的な事実を追い易いので、この問題を取り上げて日本の役割を振り返ってみたい。

人口の大都市集中が極端に進んだ事を憂慮した当時の韓国政府は、セマウル運動(農村振興運動)を進め、人口の都市集中を防ぐのに躍起であったが、その一方、人口集中の激しいソウルの公共交通の整備は喫緊の課題となっていた。

朴正熙大統領の命を受けた白善燁交通部長官(32歳で韓国軍最初の大将に昇進した元軍人で元外交官)は、地下鉄建設の資本と技術の提供を日本に求めて来た。

韓国政府の要請を受けた日本政府は、ODA資金と技術協力を供与する事を決定し、その結果1974年に開通したのが韓国最初の地下鉄1号線で、開業に合わせ、日本の地下鉄と同じ直流1500V・架空電車線方式の車両60両が日本から輸入され、6両編成10本で運行を開始した。

しかも、韓国の地下鉄建設に必要な包括的技術と資金を供給ができた国は、当時の世界では日本以外には存在しなかった事からも、地下鉄建設に果した日本の貢献は決定的であった。

日本を信頼した白善燁交通部長官の要請に応えた日本が「漢江の奇跡」に欠く事の出来ない社会インフラの建設に貢献した事からも、外務省の広報動画が「戦後国際社会の国づくり 信頼のおけるパートナーとしての日本」と表現した事はごく自然で、けしからんと言う朝鮮日報の主張には無理がある。

一方、立派な実績を挙げながら他人から受けた助けを負い目に感じて隠したがる人は、日本のサラリーマン社会でもよく見かける事で、誇り高い韓国が、他国、特に日本から受けた援助には触れてもらいたくないと言う気持ちになるのは何となく判る。

しかし、「漢江の奇跡」の多くが日本の援助でスタートした事に負い目を感じるより、全車両を輸入に頼った時代からわずか10年ちょっとで国産化を実現した勤勉で学習能力の高い韓国民を誇る方が日韓両国にも自然で、国際社会も受け入れ易い。

私事に亘り恐縮だが、筆者が社長をしていた米国のエンジニアリング会社が、アラスカ鉄道向け客車の製造を大宇重工に下請け発注(韓国製車両の米国向け初輸出案件)した80年代初めの韓国の鉄道車両メーカーの実力は、一般鉄道車両の設計も侭ならないレベルで、厳しい品質管理や高度な技術が必要な地下鉄の自力建設など夢のまた夢の状態であった事からも、「漢江の奇跡」に果たした日本の援助の役割は大きかったに違いない。

この道はいつか来た道と言うが、日本の鉄道史にも外国に頼った時代があった。

1869年に鉄道建設を決めた当時の日本は、自力建設の実力は無く、英国からの技術や資金援助に加えて車両類から、建設監督、機関士、運行ダイヤを作成する技師に至るまで全てを外国や「お雇い外国人」と呼ばれる超高級取りの外人に頼っていた。

その時、日本が導入した狭軌鉄道はその後の日本の輸送能力を長い間に亘り制約する大問題を起こしたが、それでも「日本を植民地と同じように格下に見て、輸送能力の小さい狭軌鉄道を導入させた」などと英国を非難する日本人はいなかった。

それから間もなくの1894年には、日本は李氏朝鮮に鉄道敷設を提案し、1899年には鷺梁津(漢江西岸)~済物浦間の鉄道を開通させて韓国(朝鮮)の鉄道運営を始めた事で、日本の人的インフラと技術の習得の速さが世界を驚かせたものである。

そして21世紀に入ると、日本の鉄道のお師匠さんであった英国は、日立製作所に鉄道車両の製造から鉄道の運行まで全てを任せる事となった。

その日立が初めて米国に鉄道車両を輸出したプロジェクトも、現地生産の関係もあり、筆者が社長をしていたエンジニアリング会社との共同プロジェクトであったが、誇り高い日立が斜陽だと思って馬鹿にしていた米国鉄道技術の懐の深さに驚き、危機管理や安全保障に見せる米国の伝統技術を恥ずる事無く真摯に学び、根本に戻って研究を重ねた成果が、今日の発展に結びつく事となったのだ。

蒸気機関を発明して産業革命を起こした英国とそれを更に発展させた米国は、長い間「世界の鉄道」を支配して来たが、現在では英米の鉄道産業は略壊滅状態で、仏、独、日、加の4カ国に押さえられている。

世界三大鉄道車両メーカーの一角を占めるカナダのボンバルディア社も、元はと言えばモントリオール近郊の機関車修理会社で、川崎重工(川崎車両)からライセンスを受けて客車製造に進出した会社だが、今では川崎重工が逆立ちしてもかなわない大メーカーに成長している事実からも、「技術」だけではなく、世界と未来を見透せる眼力を持った経営力が勝負を決める事を如実に示した実例である。

これらの例を元に、筆者の独断ベースで敢えて韓国の鉄道政策の誤りを指摘させてもらえば、「反日」と言う国内政治に押された韓国が、高速鉄道(KTX)導入の提携相手に日本の新幹線ではなく、フランスのTGVシステムを導入した事だ。

韓国を一見のお客扱いしてパートナー扱いしないフランスとの提携が韓国に如何に厳しいかは、導入後の技術移転もままならず、多発する事故も収まらない事からも明らかで、この提携が韓国の鉄道産業発展に貢献しない反日政策の悪例の一つである。

要は、日本の「漢江の奇跡」への貢献に韓国が負い目を感ずる必要は全くなく、韓国は自分の実力に自信と誇りを持って未来志向で日本と接する事が、日韓親善やお互いの産業の振興に役立つと言う事だ。

2015年4月16日
北村 隆司