艱難汝を玉にす

「昭和の黄門様」福田赳夫さん(1905年-1995年)の今から42年前のインタビュー記事、「10年間の浪人生活は、大衆の中の人生修業だった」が『経済界』のサイトに載っています。


戦後間もない1948年に起きた昭和電工への融資に絡んだ贈収賄事件、所謂「昭電疑獄」に巻き込まれた福田さんは「振り返って、苦しい10年から得たものはなんですか」との問いに対し、「そうねえ、やはり世の中というのは、非常に冷酷な一面と、また信義に厚い面という両面を持っている。頼れる人と頼れない人とに選別できる、ということを知ったということですかね。それをからだで知ったということですよ」と答えられています。

そういう意味では、例えば戦後日本を創ってきた吉田茂さん(1878年-1967年)も「軍事的にも経済的にも成り立たない戦争をやってはならないという考えをもとに動いたため、戦争末期には憲兵に捕まり、40 日ほど拘留されてしま」ったという経験も持たれています。

あるいは、敗戦直後の困難な時期に45歳の若さで社長を務め「野村中興の祖」と言われた奥村綱雄さん(1903年-1972年)が、此の戦後日本に9電力体制を築き上げ「電力の鬼」と呼ばれた松永安左エ門さん(1875年-1971年)より、「君の過去に失恋、落第、大病、左遷、脱税、逮捕、投獄といった経験はどれくらいあるかね」と尋ねられたというもあります。

奥村さんが「失恋、落第は少々ありますが……」と答えられると、松永さんに「そりゃ人生経験が足りんようだ。絶体絶命のピンチを粘り強く頑張れない」と言われたそうで、松永さんのように刑務所に入ること自体が良いわけではありませんが、苦しい状況を数多経験しそこで耐え忍ぶという中で、人間が磨かれ一つの人間としての強さが出来てくるのだろうと思います。

之は一言で、「艱難汝を玉にす」ということですし『人生に無駄なし』ということであって、企業家であれ政治家であれ最近の人達を見るに、昔よりも人間のスケールが小さくなったように感じられて、私は此の状況を非常に憂慮しています。

孫子が「死地(しち)に陥(おとしい)れて後(のち)生(い)く…味方の軍を絶体絶命の状態に陥れ、必死の覚悟で戦わせることではじめて、活路を見いだすことができる」と言うように、正に背水の陣を敷きギリギリの状況下で必死になって生きて行くということを、今の人はもう少し経験すべきだと思います。

それは来る日も来る日も眠れぬ夜を過ごし、その中で如何にすべきかと考え抜かざるを得ない「死地」の環境下に置かれた時、人間というのはそれを克服した時に大いなる自信ができ、そして一皮剥けて人物が育って行くものだと思うからです。

大志を抱き、その志を遂げようと思うならば、私利私欲を捨て去って、唯ひたすらに努力し続けねばなりません。そのためには勿論、自分を律する強い気持ちが必要になるわけです。様々な艱難辛苦を経験せねば、自己を律する精神力が鍛えられはしないのです。

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