安倍首相の米議会での演説は素晴らしかった。率直にそう思う。米議員もそう感じたのではないか。スピーチの節目で、多くの議員が立ち上がって拍手を送る場面が10回以上あったことがそれを示している。
もちろん、外交辞令としてのスタンディング・オベーションもあっただろう。だが、それだけで10回以上も立ち上がるとは考えにくい。やはり多くの共感、称賛があったと見るのが自然だろう。演説終了後、何人もの議員が首相に握手を求めたことも、演説への拍手がおギリではなかったことを物語っていよう。
何が彼らをそうさせたのか。そう思って、新聞に記載された演説全文を読んだ。前夜にテレビで英語による演説を同時通訳付きで聴いているので、内容は大体、知っていたが、日本語に翻訳された文章で改めて読むと、確かに良くできている。
明治の日本はアメリカ民主主義に学んだとし、アメリカの民主主義と自由の歴史を随所で取り上げて称賛、よりくだけた表現で言えば、存分にアメリカを持ち上げている。
続いて、第2次大戦では敵味方をなって争ったことに話題を転換。多くの若い米兵を死なせたことに深い悔悟の念を抱き、第2次大戦メモリアルの場で黙祷をささげたと表明した。
「かつての敵は今日の友」。戦争直後、米国は日本に様々な経済支援をしてくれた。それが日本を経済大国に押し上げるテコとなり、両国は強い同盟関係を結び、今日に至っていると日米の結束を再確認する。
今後もアジアと世界の繁栄、平和のために両国が協力し合うことが不可欠である。そのためにはTPP(環太平洋経済連携協定)を実現し、日米同盟を基軸に
アジアを平和の海にして行かねばならないとして、安保法制を今夏までに必ず実現すると事実上公約。米議会の日本への信頼を高めた。
簡単に言えば以上だが、話の運び方がうまい。自身の名字である「Abe」を、時たま米国人から「エイブ」と呼ばれるが、「悪い気はしない」と言う。なぜか、と聞き耳を立てる議員に、民主主義を高らかに宣言した有名なゲッティズバーグ演説をしたエイブラハム・リンカーン大統領の愛称「エイブ」と同じだからだと語る。民主主義への信念に生きる米議員の誇りを、品良くくすぐるのだ。
東日本大震災の時、暗い気持ちになった自分たちを「トモダチ作戦」によって全面的に支援してくれたのも米軍だった。米軍は我々日本人に希望を与えてくれた。そこから今後の日米同盟を「希望の同盟」と呼ぼうとして、話を締めくくっている。
単に、米国の援助に頼るだけでなく、集団的自衛権やTPPによって相互援助して行く。その精神が日本への信頼感を高めた。だから、何度も立ち上がって拍手したのである。
日本の新聞もアメリカの新聞も相変わらず、第2次大戦時の「侵略」「植民地化」などについて謝罪の言葉がなかったと批判の手を緩めない。
しかし、議員をはじめとして米国人の間にはそうした批判以上に、大きな共感と信頼感をはぐくむ演説ではなかったかと思う。
日本人の間でも、評価の方が高いだろう。保守派の間では「先の大戦に対し痛切な反省」を述べていることについて異論もあるだろう。
米国からの経済封鎖その他の攻勢が戦争の遠因であり、原爆投下などを考えれば、米国の大統領や議会も少しは反省の言葉を述べたらどうか。というのが、私を含む保守派の率直な気持ちだからだ。
だが、政治のリーダーは今日と近未来において、日本の安全・経済的繁栄の維持を図って行かねばならない。現在の米国議会で、そんな露骨な気持ちを表したら、日米関係を危うくしてしまう。
米国には日本に対し中国、韓国への配慮を求める気持ちも根強い。その点までにらんでバランスの良い演説を、と考えれば、現状では最適解に近い内容だった。
それでいながら、実は演説は米国人にも反省を迫る仕掛けをそっと入れ込んでいる。例えば――。
焦土と化した日本に、子ども達の飲むミルク、身につけるセーターが、毎月毎月、米国の市民から届きました。山羊も2036頭、やってきました
推測の域を出ないが、安倍首相は米国の経済支援に感謝しながらも、「老人、婦女子など無辜の市民が住む都市に焼夷弾の雨を降らせて焦土と化す軍事攻撃は国際法違反ではなかったか」と暗に批判しているように聞こえる。多くの議員は気づかないかも知れないが、歴史をわかっている議員は感ずるところがあるはずだ。
小学生時代、学校給食で米国からの脱脂粉乳を毎日飲まされた身としては、「家畜のエサ並みの食料支援だったのでは」という感慨もないではない。それでも、すきっ腹にまずいものなし。支援に感謝はしているが。
閑話休題。安倍首相への期待が、米国議会に静かに広がることは間違いないだろう。反権力を重視する向きは、批判精神が足りないと言うかも知れないが、私の見るところ、演説は成功だったと思う。
編集部より:この記事は井本省吾氏のブログ「鎌倉橋残日録 ~ 井本省吾のOB記者日誌」2015年4月30日の記事より転載させていただきました。快く転載を許可してくださった井本氏に感謝いたします。オリジナル原稿を読みたい方は鎌倉橋残日録 ~ 井本省吾のOB記者日誌をご覧ください。