メルケル独首相の2つの「歴史発言」 --- 長谷川 良

「世界で最も影響力のある女性」に選出されてきたメルケル独首相は失言の少ない政治家としても有名だ。不必要な発言で政治生命を失う政治家が多い中で、失言がない、ということは特筆に値する。


今年は戦後70年目を迎えたこともあって、過去の歴史問題に関して政治家たちの発言が目立つが、ナチス・ドイツ軍の戦争犯罪に対して、メルケル首相の「70年談話」が2日、独連邦首相府のHP上で公開された。それによると、「歴史には終止符がない」と指摘し、「ナチス政権の戦争犯罪を忘れてはならない」と主張している。この発言内容を聞いた時、メルケル首相の今年3月の訪日時の野党民主党、岡田克也代表との会見の中で、「過去の完全な決着は不可能だ」と述べた発言を直ぐに思い出した。

メルケル首相のこの2つの歴史発言は、場所、聞き手も異なるから簡単に並列して受け取られないが、少し検証してみたい。首相曰く、「歴史には終止符がない」一方、「過去の完全な決着は不可能だ」という。一見矛盾しているように思える2つの発言を単純に並列すると、「歴史問題の完全な決着は不可能だが、歴史問題に終止符を打つことは出来ない」ということになる。

先ず、前者の「歴史には終止符がない」という発言内容は当然だろう、数百万人のユダヤ人を大虐殺したドイツとしては、ナチス政権が犯した戦争犯罪を忘れることは許されない。メルケル首相は3日、ドイツ南部ダッハウにあるナチス強制収容所解放70年式典に参加し、「私たちは過去を忘れない」と演説した。メルケル首相は歴史を忘却することへの警告を発している。

一方、後者は日本訪問時の発言だ。「過去の完全な決着は不可能だ」というメルケル首相の発言は、安倍晋三首相の歴史認識を批判する岡田氏の発言、中韓の日本への謝罪要求などを踏まえた上で飛び出したものだ。もちろん、メルケル首相の脳裏には自国の歴史問題が想起されていたかもしれない。そして「過去の完全な決着は難しい」という歴史認識を表明したわけだ。その発言は歴史問題で紛争する日韓中指導者向けに発信されたはずだ。

メルケル首相の2つの歴史発言には異なったトーンがある。前者の場合、ナチス政権の蛮行は戦争犯罪だ。弁解の余地がない、といった毅然とした姿勢が伺える。後者の場合、歴史問題で対立する日中韓指導者に「人類は過去、戦争を繰り返してきた。そして多くの犠牲者を生み出した。それらを全て原状復帰することはできない。だから、過去問題より、今後、友好関係を築くことに重点を置くべきだ」という意味合いが含まれているように感じる。

ナチスの戦争犯罪には厳しく、日中韓の歴史問題に対しては融和と連帯を求めるなど、より現実的な対応を促すメルケル首相は、世界の指導者の資格を有する政治家だ。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2015年5月5日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。