田原総一朗氏が日経BPネットに掲載している「政財界『ここだけの話』」の4月22日号に「批判ばかりで対案を出せない『戦後リベラル』の限界」という記事が載っている。
池田信夫氏の新著「戦後リベラルの終焉」(PHP新書)について論評しながら、自らの考えを記したものだ。中で興味深かったが次のエピソードだ。
ある大手新聞の主筆にこう問うたことがある。「あなたの新聞は、いい加減に社会党的な体質から脱却すべきだ。社会党は政府のやることは何でも反対し、批判した。少しは対案を出すべきだろう。新聞も同じだ」
すると主筆はこう答えた。「対案を出すのには才能がいる。努力もいる。金も時間もいる。しかし、批判なら何もいらない。うちの読者には土井たか子さんのファンが多いから、ヘタに対案など出せば部数が減ってしまう」
「戦後リベラル」の限界とは、批判しかせず、対案を出せないことにある
大手新聞とは朝日新聞だろう。だが、毎日新聞や東京新聞、多くの地方紙も同工異曲である。さらに「対案を出せない」という点では。読売新聞や昨今の日本経済新聞も似たような弱点を持っている。
今日、大手新聞は軒並み部数を減らしている。インターネットの発達で、紙の新聞を読まない日本人が増えたことが原因だが、その奥を探れば、きれいごとのタテマエばかり並べ、実践的で生産的な対案を出さない姿勢にソッポを向かれたという点が大きい。
ネットの方がホンネで書かれた記事や世界の現実を見据えた役に立つ、有意義な論考が多く、新聞は読者の獲得競争でネットに負けてきたのである。
大手紙やリベラル派は新聞を批判するネットの論者を「ネトウヨ」とレッテルを貼って嫌悪し、侮蔑しているが、批判するだけで有意義な「対案」を出す知恵も努力もないので、徐々にジリ貧に陥りつつあるというのが現状だ。
戦後から19800年代までリベラル新聞が勢力を伸ばせたのはなぜか。田原氏の論考を踏まえて、私なりに整理すると、以前は米国の軍事外交力が圧倒的に強く、日本は軍事外交を米国に頼っていれば、やってこられた。ソ連を始めとする共産陣営はそのタテマエとは裏腹に言論弾圧と経済的貧困が広がっていた。
左翼リベラル派はその現実を知ってか知らずか、米国の庇護のもとで、勝手な平和論と社会主義、共産主義の理想を語ることができた。親の庇護のもとで、親に反抗したり、ユートピアを語るというモラトリアム人間でいられたのだ。
また、それを評価する「土井たか子さんファン」が多く、リベラル紙は現実的な対案を出さない方が部数を維持できた。
だが、1989年11月のベルリンの壁崩壊でソ連・東欧型の政治体制が崩れ、共産主義の欠陥が白日の下にさらされると、リベラル派は総崩れした。日本社会党は壊滅的に衰退、共産党も勢力が後退した。
それでも今日まで、リベラル新聞が生き伸びて来られたのは、その後も米国の軍事外交力は強く、勝手な夢を語っていても米国から三くだり半を突きつけられる恐れがなかったからだ。
一方で自民党も長く勢力を保っていられたのは、「対案を出せ」が口癖の田中角栄氏をはじめとする政治家が現実路線の政治を実行していたからだが、その背後に米国の軍事外交力があった。
極端に言えば、自民党は米国に頼りつつ、米国の支持に従う政治外交を展開してきただけだった。リベラル派とリベラル新聞は自民党と米国という二重の保護の下で勝手な夢を語り、代案を出さないという怠慢をむさぼっていられたのだ。要は半人前だった。自分では何もせず、要求だけする「ぶら下がり」型人間なのである。
ところが、大黒柱の米国の財政が悪化し、軍事予算を大幅削減、米国の極東軍事力が減少しつつある。それを見越して北朝鮮は核武装、中国は東シナ海、南シナ海から太平洋へと勢力を拡大しようとしている。
もはや米国だけに頼ることはできない。日米同盟を根幹としながらも日本自身の軍事外交力が問われつつある。自民党も独自のアイデアが問われ、自前の戦略が不可欠となった。「戦後レジームからの脱却」を唱える安倍晋三氏が総裁として浮上したのはその結果である。そこから集団的自衛権の行使容認、安保法制整備が進んだ。
リベラル派とマスコミはこれに反対しているが、対案を出せない。それは消費税率引き上げ、原発再稼働、普天間基地の辺野古移設など、すべてそうだ。安倍政権を批判する新聞の社説は「ガラパゴス化」そのものだ。
また、リベラル派人間は自分に火の粉がふりかかるのを嫌って、何もせず国が何とかしてよと要求ばかりしている。「ぶら下がり型」日本人の増殖である。
だが、彼らの多くも安倍政権を支持している。嫌がっているだけでは安全も経済も確保されないことを感じ取っているからだ。安倍首相は代案を出せる能力を持っていることを知っているからだ。
そして、これからは代案を出せなかれば、生き残ることはできないと気付いている。田原氏のブログの結びはこうだ。
批判しかしないというのが「戦後リベラル」のひとつの特徴であろう。池田さんは、「『平和憲法を守れ』とか『非武装中立』のような理念を対置しても、ほとんどの国民は関心をもたない。彼らの生活を改善する具体的な対案を左翼は出せなかったのだ」と書いている。
私は、池田さんのそうした指摘が大変おもしろく、まさに「私自身に突き付けられた問題」という思いがした
しばしばリベラルな発言の目立った田原氏も「対案を出さずに批判してきた面があった」と反省しているようだ。「今ごろ気付いたのか」と思う反面、自身への批判に正面から受けて立つ率直で柔軟な姿勢は評価したいと思った。
対案を出すとは、責任ある発言を心がけるということだ。企業なら、現状を否定するだけで対案がなければ、事業継続に響くので評価されない。
リベラル派とリベラル新聞に不足しているのは、世の常識に即した一人前の議論なのである。代案が出せなければ新聞として、企業として衰退するしかない。リベラル派が衰退し、「終焉」を迎える(池田信夫氏)のは必然なのだ。
編集部より:この記事は井本省吾氏のブログ「鎌倉橋残日録 ~ 井本省吾のOB記者日誌」2015年5月5日の記事より転載させていただきました。快く転載を許可してくださった井本氏に感謝いたします。オリジナル原稿を読みたい方は鎌倉橋残日録 ~ 井本省吾のOB記者日誌をご覧ください。