『戦後リベラルの終焉』は、むずかしいテーマの割には好評で、田原総一朗氏にほめていただいたおかげか、香山リカ氏が劣化した左翼の極致を見せてくれたおかげか、発売直後に増刷が決まったが、喜んでばかりもいられない。左翼が衰退する時代は、危険な時代でもあるからだ。
『全体主義の起原』はファシズムがいかにして生まれたかを解明した古典だが、アーレントによれば、こういう勢力が出てくる背景には、議会政治が機能しなくなるという共通点がある。近代の議会政治は次の二つの前提にもとづいている。
- 社会が階級に明確に分化し、それぞれを代表する政党が拮抗している
- 有権者に納税者としての意識が高く、政策を理解している
初期の身分制議会では党派と身分が1対1に対応し、高額納税者が有権者だったので、この二つの前提が満たされていたが、普通選挙で政治が大衆化すると、圧倒的多数の大衆は既存の政党に代表者をもたず、政策についての知識もない。
そこで労働者の代表と自称する社会主義政党ができるが、彼らの政策には魅力がなく、分裂抗争を繰り返すため、ワイマール共和国のような混乱状態になる。このように左翼が分裂して政権が維持できないとき、代表者(政党)と代表される者(大衆)の間にギャップができる。これを埋めると称して出てきたのがナチスであり、日本では軍部だった。
ドイツでは、人民戦線でバラバラの左翼を統一しようという試みが挫折したあと、ヒトラーが出てきた。日本の陸軍は政友会と連携し、「挙国一致」をスローガンにして危機を克服すると主張し、対外的拡張主義で失業問題を「解決」した。
最大の「支持政党」が無党派層になった現代の日本では、このような代表者と代表される者のギャップが30年代なみに大きくなっている。野党がバラバラで対抗勢力にならない点も、戦前と同じだ。坂野潤治氏によれば、日本でも無産政党は伸びず、大政翼賛会ができると最初に合流した。
しかしファシズムが伸びる決定的な条件は、1930年代の大恐慌のような経済危機である。今の日本はこの点は大丈夫だが、政府債務がGDPの230%を超える状態は30年代とほぼ同じであり、財政が破綻すると、青年将校のような勢力が出てこないとは限らない。
アーレントによれば、それは傑出したカリスマである必要はなく、ヒトラーは貧乏な画家だったし、東條英機は小心なサラリーマンだった。彼らの掲げたスローガンも「世界に冠たるドイツ」とか「大東亜共栄圏」とか無内容なものだが、大衆社会で原子化した人々を統合する「大きな共同体」をつくるような錯覚を与えることが重要だ。
そういう勢力が出て「ガラガラポン」しないと政治は変わらない――という絶望感が、今の若い世代には広く共有されているように思われる。それがネトウヨや反原発派のような烏合の衆であるうちは無害だが、北一輝のような天才が出てきて「挙国一致」になると危険である。