なぜ中国は覇権の妄想をやめられないのか

安保法案について野党は、海外派遣された自衛官の安全ばかり心配しているが、自国の安全はどう考えているのか。原発については「安全神話」を批判してゼロリスクを求める彼らが、軍事的には「日本が仲よくすれば戦争は起こらない」という安全神話を信じているらしい。

いまアジアの最大のリスクは、中国の急速な軍備拡大である。習近平主席は「民族の偉大なる復興」をとなえ、中国が政治的にもアジアの中心になることをめざしている。2000年にわたって世界の最先進国だった彼らが、経済的にめざましい成長を遂げたあと、政治的な覇権を求めるのは当然だが、問題はそれが軍事的な覇権に発展するのかどうかである。


著者が「覇権の妄想」と呼ぶのは、中国が世界を支配するという中華思想のことだが、それはローマ帝国もオスマン帝国も同じだった。西洋の主権国家が植民地支配を全世界に拡大する前まで、帝国は平和共存の秩序だったのだ。帝国は自国の支配権が脅かされない限り他国を侵略することはないが、他国の脅威が強まると攻撃的になる。

中国も基本的には防衛的だが、自国の支配権が脅かされると攻撃的になる。その一例が6世紀から7世紀にわたって行なわれた隋と高句麗の戦争である。220年に後漢が滅亡してから、中国では南北朝の戦乱が続いている間に高句麗が朝鮮半島を統一し、中国の東北地方まで勢力を拡大した。これに対して中国を統一した隋は100万の大軍を派遣したが敗れ、逆に隋が滅んでしまった。

1949年に建国したばかりの中華人民共和国が50年に朝鮮戦争に出兵し、100万人近い犠牲者を出したのは、この隋の故事に似ている。毛沢東は自分が「天命」を受けた支配者であることを示すために、朝鮮半島を支配下に置く必要があったのだ。それは19世紀末の日清戦争と同じく、朝鮮を支配して華夷秩序を守るための戦争だった。

朝鮮戦争には失敗したが、中国はその後も華夷秩序の再建を進めてきた。特に鄧小平の時代に海洋戦略を策定し、習近平は「海洋強国の建設」を政策理念に掲げた。その後も尖閣諸島での挑発や日本の防空識別圏への侵入、あるいは日本の護衛艦へのレーダー照射など、ジャブを繰り出して日本やアメリカの反応をうかがっている。

それに対してアメリカは、フィリピンに米軍基地を再配置するなど「封じ込め戦略」をとっている。習近平もアメリカが中国の太平洋における「核心的利益」を尊重する限り、アメリカの権益を尊重すると表明しているが、この新型大国関係は、太平洋を米中で分割支配しようということだ。

アメリカは中国の野望を聞き流しているが、アジアの軍事バランスは大きく中国に傾いてきた。いわばアジアに局地的な冷戦秩序ができつつあるともいえる。だから戦争のリスクが切迫しているとはいえないが、北朝鮮の崩壊などでバランスが大きく崩れたときは危険だ。安保法制で第一に考えるべきなのは自衛官の安全ではなく、このような軍事バランスを維持することである。