安岡正篤先生は「人間の真価はなんでもない小事に現われる」と述べておられますが、私も全くその通りだと思っています。その人の真価というか本質というか人格というか品性というか、兎に角その日その時のちょっとした立ち居振る舞いにそうしたものが現れてきます。
大きい事だから現れるとか小さい事だから現れないといったものでなく、あらゆる事に現れるということであって取り分けそれは出処進退に見られます。何か取り繕ってみたところで、その人の平生の態度がどうであったかが出処進退には全部現れてくるのです。その局面に至った時にだけ周りから良い評価を得ようにも無理であり、だからこそ平生が大事だということです。
此の出処進退である面人品(人としての品格)が判断されるわけですが、政治家・橋下徹の去り際は実に清清しく感じられるものでした。橋下さんは燃え尽きる位の闘志と情熱を込めてこれまで政治活動をやってこられたのでしょう。それがゆえ清清しい「政界引退」を印象付けたのではないでしょうか。
凡そ2年半前、橋下さんは『週刊朝日』の連載記事「ハシシタ 救世主か衆愚の王か」を巡って、血脈主義に対するある意味での批判として敢然と立ち向かいました。しかしあの時、私には朝日新聞社も含め「謝罪」していたものを、彼が余りにも粘着し過ぎるのはちょっとしんどいように見えました。
ただ今回、最も大事な去り際のあの爽やかな姿を見るに、当時これでもかと上記問題だけにフォーカスした下卑たtweetから得た彼の印象は、私の中で完全に変化しました。率直に申し上げれば、その時彼に感じられた印象は、そういう局面に置かれた人にしか分からぬ気持ちの現れだったのではと思い直したというわけです。私は橋下さんを軽軽に判断したと自戒しています。
一つの目的に向かって一生懸命仕事をしてきた橋下さんには、これから後また彼に相応しい仕事が待ち受けていることでしょう。と言うよりも、恐らく彼自らが探し出して行くのだと思いますが、その新天地での活躍を心より期待致します。彼にとって政治というのは、もう今回限りで良いのではないでしょうか。これからの半生、今の清清しさを忘れずに溌剌と大いに世のため人のため、そして少しは御自身と御家族の為に生きて行って貰いたいと思います。橋下さん、本当に御苦労様でした。
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