法王は革命家となれるか --- 長谷川 良

日本の天皇は民族の伝統の相続者だ。だから、天皇に「時代の潮流」に呼応して制度改革を求めることは本来出来ない。同じように、イエスの復活後、誕生したキリスト教の第1弟子ペテロの後継者、ローマ・カトリック教会最高指導者、ローマ法王は教会2000年の伝統の相続者と見なされてきた。だから、法王に教会機構の刷新を求めることは法王職の性格からいって少々無理がある。


その「無理」があるローマ法王職に就いたフランシスコ法王に世界のカトリック教徒たちは固陋で頑迷な教会の刷新を願っている。信者たちに“ミッション・インポッシブル”な期待を抱かせた責任は南米出身のフランシスコ法王自身だ。

コンクラーベ(法王選出会)で第266代のローマ法王に選出されたアルゼンチン・ブエノスアイレスのホルヘ・マリオ・ベルゴリオ大司教は法王名を“貧者の聖人”と呼ばれた「アッシジのフランチェスコ」を選んだ時、世界は南米出身のローマ法王が教会の伝統継承者ではなく、革命家として登場してきたことを直感したはずだ。フランチェスコの名前を法王名にしたローマ法王は歴代法王の中にはいなかった。当然だ。フランチェスコは当時のローマ法王イノケンティウス3世の教会の伝統を否定していった革命家だったからだ。どの法王が選出直後、革命家を名乗り出るだろうか。

その革命家の名前を付けたフランシスコ法王は名前負けをせず、2013年3月の就任直後からバチカン法王庁の伝統を無視し、独自のカラーを出していった。選出直後の新法王の挨拶の時、教会の近代化を決定した第2バチカン公会議(1962~65年)の提唱者ヨハネ23世の台詞を恣意的にコピーし、バチカン法王宮殿ではなく、ゲストハウスのサンタ・マルタに宿泊し、電話も自身でかけ、法王から直接電話を受けたブエノスアイレスのキオスクのおばさんが驚いたという話はメディアにも歓迎され、連日報じられた。復活祭や教会の記念日の説教は短く、礼拝後は警備員の注意を無視して、聴衆の中に飛び込んでいった。新法王が信者たちから寵愛を受けるのに多くの時間はかからなかった。南米出身の法王の一挙手一投足が信者たちにとっても新鮮であり、教会の雰囲気も激変していった、まさしく、新法王は革命家のイメージをまき散らしていったわけだ。

その法王も今年3月で在位3年目に入った。世界の教会脱会者数は依然増加しているし、教会の日曜礼拝参加者は老人が多く若者たちの姿は少ない。神学生の数は減少を続けている。バチカンが公表した「2013年教会統計」によると、聖職者の予備軍ともいうべき神学生数はアフリカ教会を除くと世界的に減少している。11年から13年の間で神学生数は2%減少した。すなわち、南米初の法王がもたらした“フランシスコ効果”は法王周辺を除くとまったく見られず、教会は停滞し、信者は離れて行っているのだ。

ドイツ人作家のマルティン・モーゼバッハ氏は独週刊紙シュピーゲル最新号(5月22、23日号)とのインタビューの中で、「フランシスコ法王は教会組織、聖職者を批判することで人気を高めた法王だ」と指摘している、法王の人気は高まったが、教会や聖職者の信頼は益々地に落ちていったわけだ。厳しい批判だが、正鵠を射っている。

実際、フランシスコ法王は就任直後から、バチカン関係者を“官僚主義者、キャリア思考者”と批判し、教会内に引っこまず外に飛び出し、苦しむ人々に福音を述べ伝えよ、と発破をかけていった。教会に批判的なメディアや信者たちも「その通りだ」と法王に喝采を送ってきた。教会を批判することで教会最高指導者フランシスコ法王は世界の寵愛を受けてきたのだ。

ところで、新法王の実績といえば、教会の雰囲気を明るくしたことだろう。憂鬱な雰囲気が漂う欧州教会に南米の太陽をもたらした。それ以外では、財政問題を抱えていたバチカン銀行に専門家を投入し、改革を任せ、13年4月には、8人の枢機卿から構成された提言グループ(C8)を創設し、法王庁の改革<使徒憲章=Paster Bonusの改正>を委ねていったことだ。

「法王就任3年目に入ったばかりだ。多くを期待することはできない」という意見がある。しかし、考えてほしい。フランシスコ法王が法王に就任した時、彼は既に76歳だった。今年12月で79歳になる。その法王にどれだけの時間が残されているのだろうか。

フランシスコ法王は今年に入り、メキシコのテレビ放送とのインタビューの中で、「自身の法王の在位期間は4年から5年、ひょっとしたら3年から2年と短くなるように感じる」と語り、健康が悪化して職務が履行できなくなったならば、生前退位した前法王べネディクト16世の前例に倣って、退位する考えであることを示唆しているのだ。

バチカン法王庁で今年10月4日から通常の世界司教会議(シノドス)が開催される。バチカンは昨年10月、特別世界司教会議(シノドス)を開き、「福音宣教からみた家庭司牧の挑戦」ついて協議したが、通常シノドスではその継続協議が行われる。そこでどのような改革が決定されるか、フランシスコ法王はリーダーシップを発揮するだろうか。

バチカンのナンバー2、ピエトロ・パロリン国務省長官は、同性婚の合法化を明記した憲法修正案の是非を問うアイルランドの国民投票で賛成が過半数を占めたことについて、「教会の敗北だけではない。人類の敗北だ」と述べている。ということは、教会は同性婚問題ではそのドグマを変える意思はないことを明確にしたわけだ。今年1月に駐バチカン大使に任命された仏外交官Laurent Stefanini が同性愛者ということでバチカン側から信任を拒否されている。バチカン側はこの件ではこれまで正式には何も発言していないが、新任大使の人物を好ましくないと考えているはずだ。

シノドスでひょっとしたら変化が考えられるテーマは、再婚・離婚者への聖体拝領だろう。信者たちの現実と教会の教えの間に乖離が広がり、信者の教会離れが急速に進んできた。そこで教会は現実問題への対応を強いられてきたからだ。教会が選んだ解決策は「寛容と慈愛」という魔法の言葉だ。教会の教えでは絶対に受け入れられない問題についても、「寛容と慈愛」で取り組んでいこうというのだ。換言すれば、教会のポピュラリズムだ。その最先頭で走っているのが南米出身のフランシスコ法王だ。

ちなみに、フランシスコ法王は2013年11月28日、使徒的勧告「エヴァンジェリ・ガウディウム」(福音の喜び)を発表し、信仰生活の喜びを強調した。同法王は「教会の教えは今日、多くの信者たちにとって現実と生活から遠くかけ離れている。家庭の福音は負担ではなく、喜びの福音でなければならない」と主張している。

フランシスコ法王への期待が大きければ、その願いが実現されない場合、失望は一層、大きくなる。フランシスコ法王が歴代の法王と同様、伝統の相続者に留まるか、それとも名前が示唆しているように、教会の既成秩序を根本から変える革命家であることを実証するか、その答えはまもなく出るだろう。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2015年5月28日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。