自衛官にリスクを負わせているのは誰か

安保法制の審議で、野党はことさらに「自衛官が負うリスク」について政府を追及している。海外派遣された自衛官の自殺者の人数まで公表された。
これまで自衛隊の地位や処遇をないがしろにし続けて来た、自衛隊嫌いの護憲派の面々が「自衛官が死んだらどうするんだ!」「自衛官の気持ちを考えろ!」などと言い出した光景には呆れるほかない。
少し前には社民党が「あの日から、パパは帰ってこなかった」という醜悪なポスターを制作した。
「自衛官に死者が出れば、鈍感な国民たちも『戦争法案』に反対の声を挙げるだろう」という思いがミエミエで、もはや呪いに近いものを感じてしまう。自衛官の命を利用しようという動機は許し難い。

私は身内に自衛官がいるため、戦後日本における自衛隊・自衛官の苦悩は、かなり身近なところで見聞きしてきたつもりだ。実際に、小学校の頃、担任教師から「自衛隊は嫌われている職業だ」と言われたこともある。あの衝撃は忘れ難い。
80年生まれの私でもそうだったのだから、上の世代はより厳しい状況だったことだろう。少なくとも「自衛官が制服で街を歩けない」状態だったことは確かだ。


本土復帰直後の沖縄では、自衛官の子供だからと入学拒否されたり、自衛官や家族が商品販売拒否、タクシー乗車拒否の目に遭うなどしたという。かの「japanese only」事件も真っ青の明確な差別だが、新聞などのマスコミが大々的に「自衛隊いじめ」を問題にしたという話は聞かない。
当時は防衛大学校の学生でさえ「憲法違反」と罵られる経験をしたというし、何せノーベル賞作家が防大生を「現代の恥」とまで罵ったのだから、自衛隊・自衛官がどんな目で見られていたか、考えるだに気の毒でならない。

過去にはそういった「精神攻撃」ではなく、実際に自衛官の生命がリスクにさらされ、無残にも奪われた事件があった。1971年の「朝霞自衛官殺害事件」だ。
駐屯地の警衛勤務に当たっていた一場哲雄陸士長を、「赤衛軍」を名乗る新左翼の過激派が刺殺。逮捕されたのは日本大学・駒沢大学の学生三人で学生運動の流れの中で起きた事件だった。思想に駆られた活動家に、弱冠二十一歳の若い自衛官が命を奪われ、殉職した。任務中の自衛官の命を奪ったのは、敵兵ではなく、日本人だったのだ。
この点で護憲派の言う「戦後、九条があったおかげで自衛官は一人も殺されていない」は嘘だ。
「戦闘地域ですらない「憲法九条に守られた日本国内で、日本国民が、自らの政治思想の実現のために自衛官を殺した」のである。模倣犯が出るかもしれない状況下で、全国の自衛官のリスクは一気に高まったことだろう。

朝日新聞は安保法制について5月28日付の社説で〈自衛隊員のリスクが高まるのは明らか〉であるとして政府の方針を批判しているが、この朝霞事件の背景に、当時の朝日などの「反自衛隊」論調があったことはどう考えているのだろうか。
よく知られているとおり、この犯人に当時『朝日ジャーナル』記者だった朝日新聞社の川本三郎氏と『週刊プレイボーイ』の記者が活動資金や逃走資金を渡していた。そして両記者は逮捕されている。
川本三郎氏はその後、回想録『マイ・バック・ページ』に当時のことを書いており、二〇一一年には映画化もされている。その映画のキャッチコピーはこうだ。
「その時代、暴力で世界は変えられると信じていた」
その「暴力で世界を変えられる」と信じていた部類の人たちや、その思いに同調したような人たちが、今も護憲運動に邁進し(一部転向した人もいるが)、今になって「自衛官のリスクが高まるのは許せない」「自衛官の命を守れ」などと叫んでいる。滑稽でならない。

朝日新聞は毎年5月3日前後に「朝日新聞阪神支局襲撃事件」を取り上げる。1987年、赤報隊を名乗る男が支局内で散弾銃を発砲し、当時29歳だった小尻記者が命を奪われた。もちろんこの事件も痛ましいが、朝日新聞はこの事件を「戦後民主主義に対する挑戦」「言論の自由への攻撃」と受け取り、今も「事件を風化させるな」と報じ続けている。
では朝日新聞は自社の記者がかかわった朝霞事件について「事件を風化させないよう」反省し、報道しているだろうか? 答えは否である。
リスクを言い立てる野党の議員や護憲派のお歴々たちは、命懸けの任務や存在そのものが「憲法違反」とされる自衛官や家族の思いを想像したことが、一度でもあるだろうか。自衛官の名誉や任務に対する評価を積極的に行なったことがあるだろうか。これも恐らくないだろう。

島田雅彦氏は朝日新聞紙上で「憲法は経典」としたが、戦後七十年経っても自衛官は「経典」に反する存在とされたままなのだろうか。これは自衛官に背負わせるにはあまりに重いリスクではないか。

自衛官のリスクについては、当然のことながら「活動範囲が広がればリスクは高まる」前提で、どうそのリスクを軽減し、日本の防衛と国際貢献のために自衛隊が活動すべきなのかを考えなければならない。
もちろん、「自衛官のリスク」を言い立てる野党の「逆張り」で、「自衛官は死ぬ覚悟が出来てるぞ!」「どんどん行かせろ」「名誉の戦死でアメリカとの同盟が強固になる」などというのも大きな間違いだ。
建設的な議論のために、まずは「自衛隊の活動拡大反対派」が、まずリスクありきの大前提を認めることから始めるべきだろう。政府側が「リスクは当然あります」と言った途端に「やっぱりあるじゃないか!」「自衛官が死んでもいいのか!」とやっていては話にならない。

自衛官は、日本で任務に当たっているだけで家族にまでリスクを背負わされた時代が、つい最近まであったのだ。しかもそのリスクを背負わせていたのは、他でもない、いま自衛官のリスクを言い立てている人たちだったことを忘れてはならない。

梶井彩子