FIFAとツール・ド・フランス --- 長谷川 良

前日と同じように、理屈っぽいコラムとなることを許してほしい。

国際サッカー連盟(FIFA)のゼップ・ブラッター会長は30日、前日の会長選を振り返りながら、「私は許すが、(自分に反対した人間を)忘れない」と語ったという。欧米メディアは会長の発言を反会長派への脅迫と受け取っている。特に、欧州サッカー連盟(UEFA)のプラティニー会長が会長選前、FIFA幹部たちの汚職問題の責任を取ってブラッター会長に辞任を要求したことに対し、警告という意味合いがあるという。


ところで、「許す」といいながら、その恨みを「忘れない」ということは何を意味するのだろうか。「許す」と「忘れる」との間の4つのパターンを列挙してみる。

 ①許すが、(その恨みは)忘れない
 ②許すから、(その恨みも)忘れる
 ③許さないから、(その恨みも)忘れない
 ④許さないが、(その恨みは)忘れる

②と③は論理的に一貫性があり、矛盾していないが、①と④は一見、矛盾している。厳密にいえば、①と④は前の言葉が後の言葉を否定している。

ブラッター会長の①の発言は、同会長が反対理事の辞任要求を決して忘れないという警告を「許す」という言葉で逆に強調している。時が来れば、その恨みを必ず晴らすぞ、といった脅迫だ。一見、紳士的だが、その語調はマフィアが良く使う口癖と酷似している。

「許す」とは、精神的な思考の末の結論であり、生易しい作業でないことはいうまでもない。そして「許す」と決意した場合、相手の行為を忘れなければならない。ただし、「忘れる」という作業は恣意的に実行できるわけではないから、許してもなかなか忘れることができない、といった状況は十分考えられる。ブラッター会長を擁護するつもりはないが、79歳の高齢となれば、思考が柔軟性を失い、頑迷となりやすいから、「忘れる」ことが一層難しいのかもしれない。

③の例は、ナチス・ドイツ軍に数百万人の同胞を虐殺されたユダヤ民族だろう。彼らは“忘れない民族”と言われる。彼らはナチス軍の蛮行を絶対に許さないから、絶対に忘れないのだ。④の場合、許さないが、時間の経過と共に、その痛みが癒されて、忘れていくという意味かもしれない。時間が痛みを癒し、忘却に押しやる場合だろう。

ところで、どのような人が相手の蛮行を「許す」だろうか。自身の弱さ、欠点を自覚し、自身への評価が厳しい人ほど、相手の行為を許す。逆に、悪いのは相手であり、自分は正しいと考える人は、相手の悪事を許さない。自分の中に、相手と同様の弱さ欠点があると自覚していないから、相手を厳しく追及する。自分には甘く、相手には厳しいタイプだ。ブラッター会長の言動にその傾向が見られるのだ。

最後に、FIFAの汚職問題について、当方の考えを書く。

今回のFIFA幹部たちの汚職問題は個人の問題というより、FIFAという組織のシステムと密接に関係している。ワールドカップ(W杯)の誘致争いでは巨額の金が動くことは周知の事実だ。カタール誘致で同国の広報担当だった女性が、「FIFAの幹部に150万ドルを支払った」と証言している。TVの放送権がある。例えば、2018年のモスクワ大会と22年のカタール大会の2つのW杯大会放送権を獲得するために、ドイツ公営放送は5億ユーロ余りの資金を使っている。W杯には世界の企業のスポンサーがつくから、巨額の資金が流れ込む、といった具合だ。その巨額の金を管理しているのがFIFAだ。利権と汚職が生まれてくる土壌がFIFAにある。

ブラッター会長は既に16年間、そのポストにいる。同会長は30日の記者会見で、「自分はこの仕事が大好きだ」と述べていた。同じ人物が巨額の資金と利権が集まる組織のトップに長期君臨することは本来、避けなければならない。ブラッター会長の5選を阻止できなかったところをみると、残念ながら、FIFAには自ら組織を改革できる能力がないのではないか。

夏季五輪、サッカーW杯について世界第3のスポーツ・イベント、自転車競技ツール・ド・フランスはここ数年、選手たちのドーピング問題が多発し、イメージダウンが深刻だ。スポンサーや放送局のツール・ド・フランス離れが進んできた。

世界最大のスポーツ人口を有するサッカーだが、FIFAの汚職・腐敗問題を解決できない場合、ツール・ド・フランスと同じ運命に陥る危険性が出てくるだろう。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2015年6月1日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。