「信頼できる言葉」を探して --- 長谷川 良

中国の海外反体制派メディア「大紀元」に興味深い言葉が紹介されていた。「信言不美 美言不信」だ。老子の「道徳経」の中に出てくるもので、「信頼できる言葉は飾らず、飾っている言葉は信頼するに足りない」という意味があるという。


「大紀元」は、「話をすること、それ自体には得手不得手があり、表現力も人によって違う。しかし、ありのままに話すことは殆どの人ができる。上手でなくてもありのままに話せば、それは無私で誠実な表現である。逆に言葉を飾って話した場合、そこには必ず何かしらの私(し)の目的がある」と解説している。

新約聖書の「ヨハネによる福音書」第1章には、「初めに言(ことば)があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は初めに神と共にあった。すべてのものは、これによってできた。できたもののうち、1つとしてこれによらないものはなかった」という良く知られている聖句がある。人間を含むすべての万物世界は神のその言(ロゴス)から生まれてきたという意味だ。

老子はその言葉には、「信頼できる言葉」とそうではない言葉があると述べ、前者の言葉は飾らない率直な言葉であり、後者は飾られた「美言」だという。

ヨハネの言も老子の名言も非常に啓蒙的だ。特に、老子の言葉は考えさせられる。本当に美しい言葉は少なくなったきた。複雑な表現やその出自不明な言葉も増えてきた。言葉の洪水の中で、老子が指摘するように「信頼できる言葉」を探すのは、簡単ではない。

多くのブロガーが様々なテーマで日々、コラムや情報を発信している。あるブロガーは、「簡単な表現で経済の動向を読者に紹介したい」と述べ、難しい経済的テーマを可能な限り一般の読者に理解できるように紹介している。そのブログは当方をはるかに凌ぐ読者を獲得している。難しいテーマを難しく説明はできるが、難しい話を分かりやすく語るのは容易ではない。書き手がそのテーマを深く理解しなければならない。老子の「信頼できる言葉」はそのブロガーが目指す「分かりやすい表現」と通じるのだろう。

「専門的な内容を分かりやすく説明する」といえば、理論物理学者で「超弦理論」で有名な日系アメリカ人、ミチオ・カク教授の著書「未来の物理学」(Die Physik der Zukunft)を思い出す。カク教授は、西暦2100年時の最先端科学技術の状況とその問題点を紹介している。「コンピューターの未来」から「人工知能」、「医学」、「ナノ技術」、「エネルギー」、「宇宙飛行」、「福祉」、「人類」の未来について600頁を超える大書だが、科学物理学の世界を一般の読者に分かりやすく説明している。カク教授は「科学解説者」と呼ばれているほどだ。

ところで、同じ言葉を駆使しながら、相互理解できない、とは何を意味するのだろうか。老子の表現では、「飾った言葉」は「信頼できない言葉だ」という。美辞麗句という表現がある。一見、美しく飾った言葉だが、相手の心に響かない。だから、「信頼できない」というわけだ。

旧約聖書創世記の「バベルの塔」の話をご存知だろう。人間が神の宮まで届く高い塔を建設しだした。

「民は一つで、みな同じ言葉である。彼らはすでにこの事をしはじめた。彼らがしようとする事は、もはや何事もとどめ得ないであろう。さあ、われわれは下って行って、そこで彼らの言葉を乱し、互いに言葉が通じないようにしよう」

それ以降、人間はそれぞれ独自の言語で語り始めた。「信頼できる言葉」を失ってしまった人類は相手を理解できずに紛争や戦争を繰り返していったわけだ。

21世紀の今日、インターネットが世界をカバーし、相互理解が可能な通信時代になった。自動翻訳機も生まれ、異なる言葉の壁も低くなってきた。あとは「信頼できる言葉」を探すために、老子が言うように、“飾らない素直な言葉”を見つけ出さなければならないのだ。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2015年6月10日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。