中国は「法治国家」になれるのか 『巨龍の苦闘』

津上 俊哉
KADOKAWA/角川書店
★★★★☆



国会では質問する野党も答弁する与党も憲法論の神学論争にはまりこんで、わけがわからない。これは日本に法治国家の伝統がないためだが、中国も同じだ。皇帝が法律で民衆を支配する法治主義は秦の時代にあったが、法によって国家権力を拘束する法の支配はまったくなかった。

法の支配の原型は、キリスト教の神の支配である。これは中世ヨーロッパで王と貴族の妥協の結果できた特殊な制度で、キリスト教の伝統もない中国で、絶対権力をもつ皇帝=共産党が法の支配のもとに置かれることはありえない。

しかし成長が減速し、バブル崩壊の懸念が高まる中で、習近平体制がゆらいでいる。その建て直しのために幹部の腐敗が摘発され、昨年の四中全会では依法治国の改革が予告されたが、著者は半信半疑である。何もしないよりはいいが、実質的な改革になるかどうかは政権の「人治政治」に依存しているからだ。

13億人を一つの国家で支配するのは無理で、中国はこの過大規模に悩まされてきた。これは内藤湖南以来、指摘されてきた問題で、中国で伝統的に「国」に含まれたのは皇帝と(中央・地方の)官僚機構だけで、民衆は含まれていなかった。財産権の保護もなかったので、人々は親族集団のアドホックな関係(グアンシ)に頼って商取引をやってきた。

そのガバナンスの弱さが経済の停滞となって表面化しているが、法治国家のコストは高い。2000年以上、法治主義もなかった中国で、司法機関が機能するとは思えない。民主的な議会が政権をコントロールすることは、中国共産党の「国体」を脅かすので不可能だ。習政権は普通選挙も三権分立も認めないという姿勢を変えないので、行き詰まることは目に見えている。

日本人にとって気になるのは、習近平がこの危機を乗り切るために対外的な冒険主義に打って出るのではないかという問題だ。著者は、当面その心配はないという。今の中国の政権は脆弱なので、へたに「外乱」を起こすと、それが「内乱」に波及するリスクが大きいからだ。

そこでAIIBの「経済大国」路線が出てきたわけだが、これも著者は半信半疑だ。足元の危うい習政権が、こんな大プロジェクトを透明・公正に運営できるとは思えないが、日本は全面否定の態度はとるべきではないという。この問題については、今週のVlogで著者にくわしく聞いてみたい。