どうする、新国立競技場

一体どうなるのか、気になって仕方がないのがこの新国立競技場問題であります。

1300億円程度の予算が計上された新国立競技場の建築はザハハディト氏の自転車のヘルメットのような斬新なデザインを採用することになったのですが、当初から議論百出、旧競技場は壊したけど何をどう作るかで揺れに揺れています。現状のままなら予算3000億円とも言われ、2019年の新競技場で開催予定のラグビーの試合すら怪しいものになっています。

いわゆる施工の遅れではなくデザインと予算措置の問題で振り廻されているのですからたまりません。舛添都知事は吠える一方で下村文科大臣は都に500億円の整備費を出せと淡々と要求し、法律まで作り周囲を固める気になっています。官僚がやりそうな手口でありますが、この問題で国民の意思はどこに消えてしまったのでしょうか?

本件はこのブログでも過去、何度か取り上げていますが、問題が新局面に入っていますのであえて取り上げたいと思います。

まず、ザハハディト氏の誰も施工できない作風といわれるデザインがコンペで勝ち抜いたその流れは安藤忠雄氏が議長を務める委員会があってのことだと思います。有識者会議の他の方々は政治家や実業界のバックグラウンドを持つ方々がスポーツ関係の団体の長を務めている関係でメンバーに名を連ねていました。つまり、建築設計分野での専門家は安藤氏しかいません。その安藤氏がデザインコンペで進めた方法はあくまでも意匠が主体であって建築が可能かどうかという議論はしているもののいくらかかるかという話は出てきません。

つまり、コンペそのものにコスト意識はほとんど出てきておらず、1300億円の予算とは遊離したコンペの検討でありました。本来であれば委員会に施工、特にコストについて高い見地をもつ専門家が入るべきでした。世の中、建築物は大方どんなものでも出来るものです。施工可能かどうかという検討は二つあり、学者が物理的施工の可能性を問う場合と予算と工期に即した現実的な可能性の検討があり、その意味合いは全く違います。

但し、舛添都知事の主張も厳しいかもしれません。それはその有識者委員会には石原、猪瀬と継いで舛添都知事も平成26年度の委員に入っているのです。本件がどこでどのように流れ着いてこうなったかは別として東京都知事が当初から口をはさむ余地はあったはずです。

予算上の問題があればそのデザインが所定の予算で施工可能なのかその時すべきであったでしょう。少なくともザハハディト氏のデザインが選考で絞られ始められた時点で日本の設計者達の間で大きな疑義が生まれていたのですから今になって騒ぐのはおかしいと思います。

では建築費が倍増以上となり、工期もどうなるかわからないし、オリンピックの時、仮設の席などという中途半端な案すら出ていることに対して国民も承知しているのでしょうか?他のオリンピック開催国では当初予算と実際のコストの相違で揉めにもめるのはもはや当たり前でデモ、ストライキ等の反対派運動がなかった記憶はありません。如何に日本人が鷹揚かよくわかります。

個人的には19年のラグビーには間に合わせる、仮設席は設けないことを最前提として原案を簡素化すべきかと思います。ザハハディト設計事務所は変えてもよいと思っています。あれを素晴らしいと思っているのは安藤さんぐらいだろうと思います。多くの国民が感動しないかもしれない建造物に予算と間尺に合わないものを作るのが民主主義的で日本のやり方だとは思えません。

お金の負担に関する国と都の言い合いは国に分があると思いますが、舛添さんが吠えたことが必ずしも間違いだったとは思いません。国のスタンスもあのような上から目線はどうなのかと思います。ここは喧嘩両成敗で引き分けとし、それよりももっと現実的なデザインの見直しと施工プランを早く作るべきしょう。個人的にはザハ事務所を切ってしまって日本の総力で進めたらよいかと思います。

今日はこのぐらいにしておきましょう。

岡本裕明 ブログ 外から見る日本、見られる日本人 6月14日付より