これは英語のconstitutionを「憲法」と訳すのがまちがいなのです。イギリスには、1215年にできたマグナ・カルタ、1628年の権利請願、1689年の権利章典、1701年の王位継承法、1911年の議会法など、政治の基本になる法律があります。憲法という法律はありませんが、国制(constitution)はあるのです。
イギリスの法廷でも、「この法律はコモンローに反する」という判決が下されることがあります。このコモンローは特定の法律ではなく、それまでの多くの判例を総合して決められます。当然、コモンローは時代に従って変わりますが、それが当たり前だとイギリス人は考えています。
アメリカで憲法ができたのは、連邦の中の各国(今の州)がバラバラに法律をつくり、州をまたいだ取引に関税をかけたり勝手に通貨を発行したりして、混乱したためです。しかし憲法をつくること自体に多くの州が反対し、「フェデラリスト」と呼ばれる建国の父は、彼らを説得するのに苦労しました。
このため最初にできた合衆国憲法は13州の条約のようなもので、わずか7条の簡単なものでした。第1条は議会で、各州の代表だけが立法権をもつとされました。第2条では大統領を決めていますが、その法的な権限は弱く、立法も予算の編成もできません。アメリカがこういう特殊な国でなかったら、国制を憲法という法律にする必要もなかったでしょう。
ちなみにこのとき第4条には「逃亡奴隷は元の持ち主に返さなければならない」という意味の規定があり、奴隷の所有権を憲法で認めていました。世界中で奴隷を制度化したのは、合衆国憲法だけです。そのアメリカ人が、日本(奴隷を禁止していた)が「性奴隷」を使っていたと批判するのは変ですね。
合衆国憲法は多くの州が参加するにつれて、何度も修正されました。これは日本みたいに改正案を国民投票にかけるのではなく、議会でもとの憲法に足りない条文を最初の憲法につぎたしました。言論の自由を定めた修正第1条は、第1条を修正したのではなく、元の憲法につぎたした最初の条文なのです。
他方、フランスやドイツでは、王様の権力を誇示するために、細かいことまで決めた法律がつくられました。1804年にはナポレオン法典がつくられましたが、これは憲法ではなく民法でした。ドイツでは1871年に統一されたとき、「ビスマルク憲法」と呼ばれる憲法がつくられました。これが明治憲法のお手本です。
そういうわけで「国のかたち」を決める国制は必要ですが、憲法という法律は必要ではありません。いったん決めても、必要なら憲法を修正したりつぎたしたりするのは当たり前で、何があっても絶対かえないものではありません。
まして憲法が安全保障の現状にあっていないのに、現状を憲法にあわせろというのは、よい子のみなさんが成長してズボンが短くなったから足を切れ、というようなものです。足をズボンにあわせるのではなく、ズボンを足にあわせるのが当たり前ですね。