「労・労対立」を生み出す正社員保護主義

先日のトヨタの「従業員は子供」という社長会見には、違和感を覚えた人が多かったようだ。33万人を雇用するグローバル企業にも、まだ「一家」意識が生きているらしい。

日本では資本家がほとんど経営に介入しないので、「労資対立」ではなく「労使対立」があった。この使用者もサラリーマン経営者なので、日本企業は一家のもうけから長期的な投資を差し引いて労働者に分配する労働者管理企業だったが、経済が成熟して業績が低迷すると一家は維持できなくなり、インサイダーとアウトサイダーの労・労対立が起こる。

それを生み出す厚労省と労組の論理が、今回の派遣法騒動で出てきた常用代替の防止だ。これは「正社員の仕事を非正社員に奪われないように規制する」という意味である。これは著者の表現でいうと、労働生産性の低い中高年の正社員を守るために、生産性の高い非正社員を労働市場から閉め出す保護主義だ。

国際経済学でよく知られているように、これは国内市場(正社員)を守る上では有効だが、消費者は割高な商品を買わされ、企業は国際競争力を失い、長期的には経済が衰退する。それがまさに今、日本で起こっていることだ。

ところが金融政策には「異次元」の政策を求める安倍政権も労働政策には及び腰で、今度の派遣法改正も、結果的には専門26業種を3年で雇い止めする逆効果になる。企業にとっては労働者を交代させれば3年を超えて勤務させられるが、それでは派遣労働者が技能を蓄積することができず、長期雇用への道が閉ざされる。それが「労使一家」のねらいである。

昭和初期から始まった家というモデルは、労働者を職場にロックインして長期雇用で技能を習得させるシステムだった。それが製造業中心の戦後の成長を支えたが、これから日本の雇用の9割を占めるようになるL型のサービス業では、労働は脱熟練化して標準化されるので、一家意識は必要ない。

日本の労働市場のゆがみは、よくいわれるように「解雇規制の緩和」だけでは変わらない。そういう法制度の透明化は必要だが、もっと重要なのは「一家」にしがみつく老人を退場させ、企業をオープンな組織にすることだ。団塊世代の引退は、その意味では悪いことばかりでもない。