ギリシヤ哲学者の「韓国人への助言」 --- 長谷川 良

アゴラ

ギリシャの哲学者アナカルシスは「賢者は原因を検討し、愚者は原因を決めつける」という言葉がある。ブリタニカ国際大百科事典によると、アナカルシスは紀元前6世紀ごろの哲学者で、スキチア人で七賢人の一人に数えられた人物だという。
賢明な人は、不祥事が生じた時、なぜ生じたか、その原因をとことん考えるが、愚かな人は不祥事が再発しないように原因を考える前に、早急に原因を決めつけてしまう、といった意味だろうか。

この哲学者の言葉を読んで、韓国のことを思い出さざるを得なかった。決して、批判したいからではない。韓国の国民性をうまく言い当てていると感じたからだ。

そんなことを考えていた時、韓国最大手日刊紙朝鮮日報電子版で盗作問題に関する社説記事(6月23日付)が掲載されていた。朝鮮日報は「韓国の著名な小説家、申京淑(シン・ギョンスク)氏の作品をめぐる盗作疑惑が収まらない。発端は小説家のイ・ウンジュン氏が16日、申氏の短編小説『伝説』(1996年)の一部が故・三島由紀夫の短編小説『憂国』(韓国で83年出版の小説集に収録)の盗作だと主張したことだった」と書いている。申氏は盗作を否定する一方、同氏の小説を出版した創批は最初は小説家を擁護していたが、ここにきて盗作の可能性があることを示唆しているという。

ここでは申氏の盗作問題の真偽を検討するつもりはない。注目すべき点は、以下の記事内容だ。
「盗作問題は韓国の文壇が必ず乗り越えねばならない課題だ」と指摘したうえで、「韓国の文壇はここ数年間、注目すべき作品や作家が現れない低迷期に陥っている。作家や文学評論家は互いに指摘することはすべきだが、内輪でのいがみ合いに熱を上げているという印象を与えれば、読者たちはもっと文学から離れていくだろう。文壇は今回の論争を、韓国文学を一段と成熟させる契機とすべきだ」と要求しているのだ。

この社説記事を読んで、「この論調はこれまでとは少し違うな」と感じ、新鮮な驚きと感動すら覚えた。先のギリシャ哲学者の言葉を思い出してほしい。社説の書き手は賢者だ。原因を決めつけ、批判に同調したり、糾弾するのではなく、韓国文学界の未来を踏まえながら考えていこうとする姿勢が見られるのだ。

韓国では過去、国民もメディアも不祥事が起きる度に、即「裁決」してきた。昨年4月16日、仁川から済州島に向かっていた旅客船「セウォル号」の沈没で約300人が犠牲となるという大事故が起きた時も、救援活動よりも船舶会社批判、ひいては政府批判でもちきりとなった。MERS(中東呼吸器症候群)では、感染を防ぐことが出来なかった病院や行政機関、ひいては大統領府まで批判の矢は飛んできた。この種の実例は韓国では残念ながら余りにも多い。
どうか誤解しないでほしい。韓国国民を愚者と考えているのではない。考える前にすぐに批判したり、糾弾する傾向は韓国国民だけではない。日本人にも見られだした傾向だ。

ソーシャルネットワークが発達し、情報は迅速に広がっていく。一方、情報の受け手である私たちは時には考える時間もなく、即判断し、対応しなければならないことが多くなってきている。それだけに、不必要な誤解や批判が飛び出しやすくなってきた。
シンプルなことだが、原因を決めつける前に考える習慣を身につけたいものだ。ギリシャ哲学者の言葉は、歴史問題で対立する日韓両国国民にとって、今必要としている啓蒙的な内容が含まれているのではないか。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2015年6月24日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。