男系男子の皇室典範は明治の「軍国主義」の思想

皇位継承をめぐる議論は、なぜここまで混迷しているのでしょうか。

男系男子、旧宮家の皇籍復帰、皇室典範の改正…。一見すると複雑な論点ですが、その背景をたどると、明治以来の国家観や戦後民主主義のあり方に行き着きます。

皇室制度を考えるうえで避けて通れない歴史的な視点から、この問題の核心をわかりやすく解説します。

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コメント

  1. 早川蒼真 より:

    記事の指摘は鋭い

    1.「男系男子」は明治の発明ではない

    記事は、井上毅という一人の儒教主義者が「男系男子」という言葉を強硬にねじ込んだ、だからこれは明治の男尊女卑と軍国主義の産物にすぎない、という筋立てになっています。しかし、これは因果関係が完全に逆転しています。

    確かに、明治の皇室典範の原案にこの言葉がなく、井上が条文化を主張したのは事実です。しかし、彼が条文に書いた「男系」という原則そのものは、井上が思いついたものでも、明治期に新しく作られたものでもありません。記紀の時代から千数百年にわたって実際に守られてきた継承の慣行を、近代的な法典として初めて「文章に書き起こした」だけなのです。

    2.「女帝もいたのだから男にこだわる必要はない」は決定的なすり替え

    記事は「歴史を遡れば女帝もいたのだから、男性にこだわる必要はない」と、いかにも当然のように述べます。ここが最大の誤りです。

    歴史上、女性天皇は推古天皇から後桜町天皇まで、八人十代存在しました。
    しかし、その全員が「父親をたどっていけば天皇につながる」女性、つまり男系の女性でした。
    父方が天皇の血筋である点では、男性天皇と全く同じ系譜に立っています。

    一方、いま議論になっている「女系天皇」とは、母親だけが皇室につながり、父方は皇室と関係ない天皇のことです。
    この意味での女系天皇は、日本の歴史上ただの一人も存在しません。

    つまり「女帝もいた」という事実は、女系継承を認める根拠には全くならないのです。
    過去の女性天皇は、むしろ次の男系の天皇へ橋渡しをする「中継ぎ」の役割を果たしていました。
    女性天皇の前例と、女系継承の容認は、似て見えて全くの別問題です。
    記事はこの二つを意図的にか無意識にか混同させ、「女帝がいたのだから女系もいいはず」という飛躍した結論に読者を誘導しています。

    3.「明治憲法は天皇を絶対君主とした」は言い過ぎ

    記事は、明治憲法が天皇を「絶対君主」「主権者」として位置づけた、それが軍国主義の暴走を招いた、と述べます。
    しかし、明治憲法が採用したのは絶対君主制ではなく立憲君主制です。

    明治憲法では、天皇の権限(天皇大権)を行使するにあたって、国務大臣が補佐する「輔弼(ほひつ)」という仕組みや、法律や予算については帝国議会の同意を必要とする「協賛」という仕組みが、制度として組み込まれていました。
    天皇が一人で何でも自由に決められる、という体制ではなかったのです。
    井上毅自身、プロイセンの憲法を参考にしつつも、無制約の専制を作ろうとしたわけではありません。

    これを「絶対君主」と言い切ってしまうと、その後の軍部の暴走が、まるで憲法の構造から必然的に生まれたかのような単純な話になってしまいます。
    しかし実際の暴走の原因は、軍の指揮権が政府から独立していた「統帥権独立」の運用のされ方や、政党政治そのものが機能不全に陥ったことなど、複数の要因が複雑に絡み合った結果です。

    4.「宮家は自分から民間人になりたいと申し出た」は不正確

    記事は「宮家が民間人になったのはGHQに追い出されたからではなく、自分から申し出たからだ」と述べ、それを根拠に「だから今さら皇籍に戻すのはおかしい」と結論づけます。しかし、これは歴史的な因果関係を正確に捉えていません。

    昭和22年、11の宮家51名が皇籍を離脱しました。その背景には、GHQによる徹底した財産税の課税と皇室財産の没収があり、宮家が経済的に自立して生活していく基盤そのものが奪われました。
    たしかに手続きの形式としては「本人の申し出」という形をとりました。
    しかしそれは、生活の土台を失わせられた末の、追い込まれた末の「申し出」です。
    占領下の財産縮小、皇族費の制限、制度改革という巨大な圧力の中で行われたものであり、「自発的に望んで民間人になった」と単純に言えるものではないことは、歴史の定説です。

    5.「600年前に分かれたから問題にならない」「法の下の平等に反する」も乱暴

    記事は、旧宮家が今の天皇家と分かれたのは室町時代、600年以上前だから、傍系の民間人を継承者にするのは「問題にならない」「とんでもない話だ」と断じます。
    血縁が遠いことが論点になること自体は正当です。
    しかし「だから絶対にだめ」と切り捨てるのは言い過ぎです。

    日本の皇位継承の歴史では、直系が途絶えたときに傍系から継承した例が実際にあります。
    問題は「傍系だから絶対だめ」かどうかではなく、現代の象徴天皇制のもとで、どのような解決策を組み立てるか、という設計の問題のはずです。

    しかも、旧十一宮家は南北朝期の伏見宮家を源流とし、江戸時代を通じて世襲親王家として皇統の「予備」の役割を担い続け、昭和22年に離脱する直前までは、旧皇室典範のもとで正当な皇位継承権を持つ「皇統に属する男系男子」として公式に認められていた人々です。ただの遠い親戚ではありません。

    また「法の下の平等に反する」という主張についても、憲法学上、皇室という存在そのものが、世襲(=門地)を前提とする「憲法14条の例外」として位置づけられています。皇位継承の安定という極めて重大な国家的要請を満たすために、かつて継承権を持っていた血統の男子を特例法で皇族に迎えることは、むしろ「世襲の原則」を維持するための合理的な手段だ、という解釈が十分に成り立ちます。「平等違反だ」の一言で片づく問題ではありません。

    6.「安倍が棚上げした」だけでは経緯を説明できない

    記事は、2005年に有識者会議が女性天皇容認の結論を出したのに、第一次安倍内閣で安倍氏が「棚上げにしちゃった」と、まるで個人のイデオロギーで議論を潰したかのように描いています。しかし、ここには決定的な事実が抜けています。

    2006年9月、秋篠宮家に悠仁親王殿下がご誕生されました。それまで約40年間、皇室に男子が生まれていなかったため、小泉内閣の有識者会議は「男系男子による継承の危機」を回避しようと女性天皇容認に傾いていたのです。ところが、次世代の男系男子がご誕生されたことで、状況が根本から変わりました。「ただちに皇室典範を改正して伝統を変える必要性は薄れた」と判断されたのが実態です。

    これを単なる「政治的サボタージュ」や「右派のイデオロギーによる棚上げ」と片づけるのは一面的です。皇室制度の変更は極めて慎重であるべきものであり、継承資格者がご誕生された以上、急がず推移を見守るという判断には、相応の合理性があったと冷静に評価すべきでしょう。

    まとめ

    記事は全体として、「男系男子=明治の軍国主義と男尊女卑が生んだ古い決まり」という図式を作り、それを否定すれば話が前に進むかのように書かれています。しかし、ここまで見てきたように、その図式は事実関係をいくつも取り違えた上に成り立っています。
    一方の結論に都合よく歴史を単純化したまま「リセットしよう」と言うのは、駄目だと思います。