私が安岡教学について上梓するのは、之で二冊目です。最初の書は『安岡正篤ノート』(致知出版社刊)と題し、同出版社の講演会で『今に生きる「安岡教学」』というタイトルで御話をさせて頂いた内容をベースに若干の肉付けをしたものであります。此の書は、安岡教学へのガイダンスとしてのものであります。
之に対しその姉妹編とも言うべき本書は、安岡教学のエッセンスを先生の珠玉の言葉を紹介しつつ、それに私の知見を通じて解説を試みるという形で体裁を整えたものであります。本文に掲載した安岡先生の古今東西を洞観した極めて厚く深い学識と高潔な人格から迸(ほとばし)る御言葉は実に言霊とも言うべきもので、読者の皆様はそれを味読(みどく)されることでその言葉に宿っている不思議な力を体得されると確信致しております。
安岡先生が戦前戦後を通じ一貫し説き続けられたのは、自らに反り本来の自己を自覚(自反尽己…じはんじんこ)し、天から与えられた使命を知り(知命)、自己の運命を主体的に自ら切り拓く(立命)、ということの人生における重大性と必要性でありました。此の自己維新の一灯がやがて万灯になり、国や世界をも正しい良き方向に変えることに繋がるというのが先生の堅い信念でありました。
読者の皆様が是非この先生の信念とも言うべきエッセンスに触れられ感化され、一灯照隅行(いっとうしょうぐうこう)を共にされることを願ってやみません。
私が本書を上梓することにしたのは、一冊目の『安岡正篤ノート』と同じく安岡先生の書から受けた学恩に感謝の誠を捧げようと思ったのと、微力ながら先生の教えを若い世代に伝えなければと考えたからです。今日の世界は様々な意味で難局にあり、此の打開には人物の育成しかないのであり、先ずは人物を作り、その人物をして物事を立派に成し遂げさせて行くということが望まれているのです。
『易経』の中にある「開物成務(かいぶつせいむ)」ということです。その為に「安岡教学」は益々その輝きを増し多くの人に求められなければと思います。正に宋の大儒・張横渠(ちょうおうきょ)の「去聖(きょせい)の為めに絶学を継ぐ」といった一種の使命観であります。
本書を読まれ安岡先生の言霊の力や横溢(おういつ)する学識に触れられ、また安岡先生の御言葉の底流にある普遍的真理に満ちた思想は、先生が明治三十一年生まれという事実を全く感じさせない瑞々(みずみず)しいものであり、今日でも経世の書として極めて役立つものだと思われる方も多いと思います。
仮にそう思われたとしたら、読み終えられたその時から「行」をスタートしなければなりません。日々の社会生活において「知行合一(ちこうごういつ)」的に事上磨錬を続ける中で、安岡先生が一貫して説かれてこられた自己維新が出来るのだと思い、私もそれを目指し努力しているのです。自己維新は維新し続け常により良きものを目指し、無限に進化して行かねばならないのです。
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