「キエフ大公」とコンサート --- 長谷川 良

キエフ大公国をキリスト教化したウラジーミル大公(956~1015年7月15日)が亡くなって今月で1000年目を迎え、ロシアやウクライナではさまざまな記念イベントが挙行されているが、当然のことだが、聖公ウラジーミルはロシアとウクライナの歴史では異なった評価を受けてきた。ちなみに、ロシア語では Wladimir(ウラジーミル)と呼ぶが、ウクライナ語では Wolodymyr(ヴォロディームィル)と発音される。

簡単に説明する。ウラジーミル大公は兄弟間の戦いから逃れるためにスカンジナビアに一旦逃亡した後、980年、キエフに帰還し、大公に就任。988年、キリスト教を国教化し、キエフ大公国を繁栄させていった。キエフのルーシ(Rus)はロシア、ウクライナ、白ロシア(現ベラルーシ)を網羅した当時の地域名だ。

ウラジーミル大公は西暦1000年から新たな1000年への移行期に登場し、バルト海から黒海まで全ルーシを支配し、欧州、地中海、ユーラシア地域で大きな影響を残した。ウラジーミル大公は洗礼後は社会、文化インフラを確立し、多くの教会を建設していった。モンゴルが1240年、キエフに侵攻するまで、キエフは文字通りキリスト教の中心拠点であった。ウラジーミル大公は東欧のキリスト文化の土台を築いていった中心人物だ。

カトリック教会と正教会の両教会はウラジーミル大公を共に聖人に処している(正教徒は聖人を亜使徒と呼ぶ)。ウクライナは2008年、ロシアは2010年、ウラジーミル大公がキエフ大公国をキリスト教化した988年7月28日を祭日としている。ただし、ロシアは同日を「ロシア民族の洗礼の日」と評する一方、ウクライナ側は「ウクライナ国の始めの日」と解釈している。

ところで、クリミア併合がきっかけでウクライナとロシア間で紛争が生じているが、ウラジーミル大公の記念イベントにも影響が出てきている。例えば、世界的な映画監督、音楽家のセルビア人エミール・クストリッツァ(Emir Kusturica)のロック・グループ「ノー・スモーキング」は7月28日、大公死後1000年を追悼する慈善コンサートをキエフのスポーツ宮殿で開催予定していたが、突然、キャンセルとなった。
キエフの文化省の説明によると、「コンサートの当日、騒動が予想され、混乱が生じる危険性があるため開催をキャンセルせざるを得なくなった」という。ウクライナ通によれば、クストリッツァ氏がウクライナ紛争で常にロシア側を支援し、クリミア半島の併合を支持する発言をしてきたことから、キエフ側が同氏のコンサート開催を拒否した、というのが真相に近いという。

ギリシャの金融危機がドラマチックな展開をする中、ウクライナ紛争は忘れられた感があるが、ウクライナ東部では親ロシア系勢力とウクライナ政府軍が戦いを続けている。今年2月のミンスク休戦合意は双方から反故にされている状況だ。
 両国がいがみ合う中、死後1000年を迎えたウラジーミル大公の「洗礼の日」を迎えようとしている。28日が両民族のルーツを確認し、和解する契機となれば幸いだが、現実は紛争をエスカレートさせる雲行きだ。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2015年7月21日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。