昨日、東芝問題を調査していた第三者委員会の報告書が全文公開され、合わせて、田中久雄社長が記者会見に臨み、歴代3社長の引責辞任を含む8名の役員及び1名の相談役の辞任という一種の幕引きを行いました。報道であからさまになるのはこのレベルまでになると思いますが、役員より下のポジションでもその責任を巡ってかなりの異動が行われることになりそうです。
また、暫定的に室町正志会長が社長に就き、9月に開催される臨時株主総会までの中継ぎをすることになります。社外取締役らを中心とした社内刷新の準備も行われるようです。巨大企業の体質がどれだけ変われるのか注目に値します。
さて、一連の報道を見ていて感じたことがいくつかあります。
まず、上場廃止というカードが全くなかったことを挙げておきましょう。ご記憶にある方もいらっしゃると思いますが、オリンパス問題が発覚した時、市場では上場廃止になる可能性が噂され、株価は5分の1程度まで崩落しました。蓋を開けてみれば、金額こそ会社の規模としては大きかったものの本業と関係のないところで代々社長が引き継いだパンドラの箱の問題でありました。実は市場では同社の「箱」の存在はかなり以前から噂されており(私にも問題発覚前から聞こえてきていました)、イギリス人社長がそれを開けたのが顛末でした。
それに比べて東芝のケースは多くの主要部門に影響し、歴代3人の社長が引責をするほどのマグニチュードであったにもかかわらず、上場廃止の選択肢がほぼまったくと言ってよいほど考慮されていないのはなぜでしょうか?
一つには同社がニッポン株式会社の代表選手であることがあります。特に政府が力を入れる原発の海外受注に於いて同社は世界のリーダーの一社であります。また、過去には経団連会長をはじめ、西室日本郵政社長など要人を輩出していることも大きいでしょう。
もう一点は連結ベースでみると負債が2兆円近くもあります。仮に上場廃止などの事態になれば日本の経済がせっかく回復基調なのに多大なる影響を与える可能性があります。まさに「大きすぎて踏み込めない」典型的な例なのであります。
次に記者会見をはじめ各種報道を読む限り、この会社にやや残念な体質を垣間見る感じがいたしました。それはまだ、体育会系のテイストが残っているということでしょうか?「チャレンジ」という名のノルマ、あるいは高い目標設定で利益を上げ、ライバルと競合し、会社の名に恥じず、ひいては歴史に残る名経営者としての功名心が異常に強かったということでしょう。
その上、歴代社長同士、特に西田元社長と佐々木元社長の確執を含めた社内派閥抗争は外から見ると漫才のようにしか映りません。企業ドラマの典型がこの会社でも繰り広げられていたのでしょう。実に情けないというか大企業の社長の割に肝が小さいと思います。それらがこのような結果に結びついたのだろうと思います。
多分、田中社長は忸怩たる思いであるかと思います。ご本人はそんな指示をした覚えはないと述べています。もちろん、私も社長が工事進行基準の弱点を突いた利益調整をしろと具体的指示を出したとは考えていません。(それほどの実務に即した経理武装戦略はお持ちではないでしょう。)
しかし、それは社長の一声が組織に与える影響力を無視しています。同社ほどの組織であれば部課レベルまで下がってくれば天の声であり、その声は伝言ゲーム状態となって拡声されます。必達の意味するものがより具体化された形となり、社員には無理難題となって伝わっていることでしょう。
私が思うのはこの問題の本質は東芝に限ったことではないと言うことです。多くの企業は日々、ライバルとの激しい競争の中で個人ノルマが課せられ、その戦いにエネルギーを費やしています。たまたま、東芝が社内からのタレこみで事態がばれてしまいましたが、このようなことは今後、どの企業にも起こりうる点は肝に銘じる必要があります。
そのためには社長が社員レベルまで接してコミュニケーションをとり、支社や店舗を巡るなど、トップが末端にまで声をかける風通しを良くする努力が今後、より一層必要になってくると思います。北米では経営トップでもあるいは時の大統領ですら、気軽に社員や市民と接したりする体質は私が初めて北米に来た時から今に至っても全く変わらない敬意であり、日本との格差であります。
東芝問題は東芝の問題に留まらないことを踏まえ、日本の多くの企業がその体質を見直す機会になってもらいたいと思います。
今日はこのぐらいにしておきましょう。
岡本裕明 ブログ 外から見る日本、見られる日本人 7月22日付より