ドイツの公営放送で15日、ロストックで開催されたメルケル首相と市民対話集会「ドイツで良く生きる」(Gut Leben In Deutschland)が放映されたが、その中でパレスチナ出身の難民少女(12)が、「将来大学で勉強したいが、滞在許可が下りず、国外退去されるのではないかと不安を感じながら生きている」と訴えた。それを聞いたメルケル首相が、「あなたの事情は良く分かる。あなたはよくやった」と述べた後、「ドイツには世界から多くの難民が殺到している。彼らを全て受け入れることは出来ない。重要な点は難民審査手続きを迅速化することだ」と、一般論を展開した。
ここまでは良かったが、それを聞いていた少女が急に泣き出したのだ。それに気付いた首相は直ぐに彼女に近づき、慰めようとした。すると、集会の司会者が、「彼女が良くやったかどうかではなく、問題は大変な状況にあるということです」と少女側の立場を説明すると、メルケル首相は司会者の方に顔を向け、「そんなことはよく分かっている。私は彼女を撫でてあげたいのよ」と答えたのだ。
この一連のシーンはソーシャル・ネットワークで流され、国民の間で大きな話題を呼び、「メルケル首相は冷酷だ」といった批判の声が上がっているという。特に、首相の「難民審査手続きの加速化」発言は、「審査が長引けば、ドイツに滞在できるのではないかと希望を抱く難民が出てくる。だから、そのような難民が出てこないためにも、難民審査を加速化すべきだ」ということを意味する。この発言は12歳の少女の立場にも当てはまるわけだ。レバノンから逃げてきたパレスチナ人の少女は既に4年間、家族と共に難民審査結果を待っている。少女はドイツ語が話せるようになり、ドイツに住みたいという希望を抱くようになってきたわけだ。メルケル首相の発言は、難民審査を加速化し、難民が間違った希望を抱く前に国外退去させるべきだ、というふうに受け取れるわけだ
当方は後日、この場面を観た。メルケル首相は少女の涙に、「世界で最も影響力がある女性」に選出された政治家とは思えないほど、戸惑いの表情が浮かべていた。驚いた点は、首相が司会者の説明に強い不快感を露わにし、「私は彼女を撫でてあげたいだけなのよ」と強く答えたことだ。
ちなみに、メルケル首相の「撫でてあげたい」という言葉は少々不適切な表現だった。「撫でる」(streicheln)は普通、犬の頭を撫でるといった時に使用する、12歳の難民の少女に対して、「撫でてあげたい」といった表現は使わない。少女の涙にメルケル首相がかなり困惑していたのかもしれない。
「メルケル首相は冷淡だ」とは批判できない。首相は女王ではない。少女の話を聞いて、彼女に同情し、滞在許可を与えることはできない。選出された首相として可能なことは文字通り、「撫でてあげる」ことだけかもしれない。
メルケル首相は間違いを犯していない。政治の檜舞台では絶対見せない困惑した表情をみせ、ひょっとしたら不適切な言葉を使っただけだ。メルケル首相は冷酷で傲慢な政治家というより、10年余り政権トップに君臨しながらも人間的な素朴なキャラクターを失っていない女性、というべきだろう。
ウィーン大学の心理学者は、「メルケル首相は日ごろ、世界の平和、紛争解決、難民対策など大きな政治課題に取り組んでいる。その政治家が突然、一人の難民の涙を見た時、動揺したのではないか。メルケル首相の“撫でる”という言葉はそのような心理的状況下で飛び出してきたのだろう」と説明していた。
独週刊誌シュピーゲル最新号(7月18日号)は、「メルケル、少女を撫でる」というタイトルに、「難民審査の迅速化発言は有権者を慰めるが、少女を慰めることができない」というサブを付けた記事を掲載していた。すなわち、メルケル首相の難民審査手続きの加速化発言は12歳の少女を慰めることはできなかったが、多くのドイツ国民には納得されたというわけだ。
なお、涙を流した少女に滞在許可が与えられそうだ、というニュースが後日流れてきた。メルケル首相の働きがあったのかは不明だ。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2015年7月22日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。