1980年、オーストリアに初めて来た時、友人が「君はマンテルを買ったか」という。マンテル(Mantel、外套)は寒い冬を乗り越えるための必需品だ。半年以上、冬の気候のこの国でマンテルがなければ過ごせない。だから、貧しい人もしっかりしたマンテルは持っている。友人に連れられ、マンテルを買いに行ったことを思い出す。マンテルは重いが、それを着ていれば厳しい冬も過ごせる。
当時、友人が「君は事務所に扇風機を持っているか」と聞けば、「扇風機などはいらないよ。日本とは気候が全く違うからね」と答えただろう。しかし、その友人が今、同じ質問をしたら、「冬でも雪が降らなくなったのでマンテルはいらなくなったが、扇風機は必需品だね。クーラーがあれば理想だが」と答えるだろう。
宇宙的規模からいえば、35年は瞬きをするぐらい短い時間の経過に過ぎないだろうが、その35年間でオーストリアの気候は確実に変化した。オーストリアは6月、観測史上最も暑い6月だったという。そして7月、真夏日(気温30度以上)が24日現在で18日間だ。2006年の17日間を破り、これまた観測史上最も暑い7月となった。今月は日数がまだあるから記録更新は続くだろう(天気予報によれば、26日から気温が26、27度前後まで下がるという)。ちなみに、当方は過去、欧州で2度、40度以上を体験した。イタリアのフィレンツェとチェコのプラハでだ。
ウィーンでは22日、23日も気温は35度を超え、38度まで上がった。ウィーン市当局は22日から公の場所で肉やソーセージを焼きながら食べるバーベキュー(グリル、Grill)を禁止する政令を発令した。森林火災の防止が狙いだ。オーストリア人やドイツ人は暑い日、家族や友人を招き庭でグリルを楽しむ。今回のグリル禁止令は公の場だけだが、暑さが続くようだと家でのグリルパーティも禁止されるかもしれない。
日本では24日は「土用の丑の日」に当たる。暑さに負けないために栄養満点のウナギの蒲焼を食べ、夏を乗り越えるという。羨ましい情景だ。ウィーンにいれば、ウナギを食べたくても、料理に出してくれるレストランを見つけるのが大変だろう。冷凍のうなぎを焼いて食べさせてくれる日本レストランがあったが、2年前に閉店した。
日本人がウナギを蒲焼にして暑さを乗り越えるように、オーストリア人はグリルを堪能して暑さを凌いできたが、今年の夏はとうとうその聖域にも火災の危険があるという理由から公の場では禁止された。ウナギを食べることは出来ず、今年はグリルにも市当局から文句が出された。ダブルパンチだ。ウィーンに住む日本人はどうしてこの暑さを凌ぐことができるだろうか。
話はまた35年前に戻る。夏はせいぜい25度前後で、それ以上暑い夏はなかった。空気も快く乾燥し、ワイシャツの襟は汚れなかったから、不精な当方などは一枚のワイシャツを一週間着たままだった。それでも良かった。
今は違う。ワイシャツは半日もすれば着換えたほうがいい。とにかく蒸し暑いのだ。地下鉄や気の利いた喫茶店はクーラーが入っているが、クーラー付の店の数はまだ少ない。先述したように、当方が初めてウィーン入りした時など、クーラーなど不必要だったからだ。
クーラーを設置している家など皆無に等しい。我が家も例外ではない。小型の扇風機が一台あるだけだ。熱い空気をまき散らすだけで、涼しくならない。だから、ラマダン期間のイスラム教徒のように、太陽が沈むのを待つだけだ。
日中は全ての戸を閉める。暑い空気が部屋に侵入しないようにするためだ。日中でも書かなければならないコラムがある場合、頭や首の周りにら水で濡らしたタオルを巻く。そして30分毎に冷水で顔や腕を洗う。これは効く。しかし、直ぐにタオルは乾燥するので、タオルをまた濡らす。その繰り返しだ。
23日、取材しなけれなならない用件があったので、外出したが、乗った市電にクーラーが入っていた。余りにも快いので、降りたくなくなったほどだ。水で濡らしたタオルを頭に置いて記事を書くより、市電の中で風景を楽しみながら仕事をしたほうがいいかもしれない、と思ったほどだ。
ウィーンに初めて来た時、その気候は北海道の旭川のようで、夏は快いシーズンだった。「自分はいいところに来たものだ」と内心喜んだものだが、35年後、「土用のウナギは味わえないうえ、蒸し暑さは日本以上だ。そのうえ、クーラーの普及率が悪いので、快い気温の下で仕事する贅沢はなかなか味わえない。
「ベートーベンやモーツァルトがいなくてもいいから、ウナギを食べ、クーラーが完備したところで一服できれば……」と自堕落な思いが湧いてくる夏の日々だ。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2015年7月25日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。