日本国憲法の生みの親、マッカーサー

東京の心臓部に長い間「幻」だった「マッカーサー道路」が一部開通し、私も汐留や浜松町に行く時によく利用するようになった。終戦時5歳だった私は、終戦後すぐに日本に進駐して6年間近くにわたり日本を実質的に支配したマッカーサー元帥の事はある程度知ってはいたが、この道路が完成するつい最近までは、彼の名前もすっかり私の記憶の外にあった。

ところが、ここ数日は、私が子供心にかすかに記憶していた昭和40年代の終り頃の事、彼が戦後の荒廃した日本に君臨していた頃の事を、何度も反芻している。それは、長い間スタンフォード大学フーヴァー研究所の研究員などを務めてこられた西鋭夫さんの「国破れて マッカーサー」を、休暇旅行中に熱心に読んだからだ。

私は迂闊にして知らなかったが、西さんは、米国の法律によって定められた秘密保持期間が明けた直後に大量の米国政府の機密文書を読み抜き、1998年にこの本を書き上げられたようだ。最近になって文庫版の5刷目が刊行されたのは、恐らくは最近の憲法改正の機運を念頭において誰かが仕掛けた事に起因するのだと思うが、米国政府内部の様々の議論がありのまま読み取れたのは、私に取っても大変収穫が多かった。

このような著書を書き上げるには非常な集中力と忍耐力を要したと思われるが、西さんがそれに耐えられたのは「今の日本はこのままでは駄目だ」という自分なりの強い思いがあったからに違いない。その事については、この本の「はじめに」と「おわりに」に繰り返し書かれているが、一言で言えば「現在の日本人はマッカーサーの占領政策によって『本来の大和魂』を奪われた『腑抜けのような存在』に成り果てている。その象徴が憲法第9条を今なお有難がって押し戴いている言語道断の現実だ」とでもいう事だろうか。

私は、事実関係をここまで丁寧にまとめて頂いた西さんの労作については高く評価するし、感謝もしているが、このような歴史的事実をベースとした私自身の「思い」と「問題意識」は、西さんのそれとは相当異なる。今回の記事はその違いを明らかにする為のものである。

西さんは、民政局の資料の中に引用されている「マッカーサー自身の手による一枚の簡潔な手書きメモ」が現在の日本国憲法の根幹になっている事を明かし示しておられるが、これは「成る程そうだったのか」と大きく頷ける重要な指摘だ。

日本の占領政策を任されたマッカーサーが、彼の目からみれば狂気の沙汰としか見えなかった「日本軍の敢闘精神」の基本となっていたと思われる「日本固有の価値観」を完膚なきまでに叩き壊す事を先ずは狙ったのは、当然すぎる程当然の事だ。

従って、生き残った日本の指導者達が最後まで拘った「国体護持」、即ち「神聖にして侵すべからざる天皇の大権」等には、一顧も与える積もりはなかったのも当然だ。これこそが彼にとっての最も重要なテーマであり、憲法第9条による「軍隊と交戦権の放棄」は、これに次ぐ「だめ押し」であったに過ぎないと見るべきだろう。

人並み優れた強靭な精神力と天才的な戦略眼を持ったマッカーサーも、哲学的には「素朴なキリスト教徒」に過ぎなかったので、彼は「天皇崇拝」や「大和魂」に代わるものとして、日本人が「民主主義」と「キリスト教」に乗り換えてくれる事に期待したようだったが、勿論これは彼の夢想に終わった。

以下は西さんの著書からの引用になるが、1948年の時点で東大法学部の受験生に「日本の将来」をテーマに小論文を書かせたところ、70%が共産主義を選び、20%がニヒリズムを選んだのに対し、キリスト教を選んだのは僅か3%しかいなかったとの事だった。

それはそうだろう。終戦直前までの日本の若者たちは、大本営発表をほぼ100%信じていたし、「建国以来2600年もの間、世界に例のない万世一系の天皇を戴き、外国との戦争に敗れた事など一度もなかった『神国日本』が、今度の戦争に限って敗れる事などある筈はない。たとえ自分自身は死んでも、日本は最後には必ず勝つ」と固く信じていたのだ。それなのに、それが一夜にして崩れ、周囲の大人たちは平然として全く違う事を言い出した。これではもう何も信じられなくなるのは当然だ。それに、とにかく腹が減り、目の前には何の希望も見えてこない。

こういう若者たちが何かの希望を見出すとすれば、それは「唯物史観」という「これまでの皇国史観とは100%異なる哲学」に支えられた「万民平等の理想郷を求める共産主義」しかなかったのも、いわば当然だったと言える。キリスト教では弱すぎるし、圧倒的な豊かさを見せつけるアメリカを単純に憧憬の対象にする程「低レベル」でもありたくないという気持があったのも当然だろう。

西さんは「アメリカの占領政策の重要な一環だった教育政策が日本人を洗脳して、現在の『魂を失った日本人』を作った」と考えておられるようだが、私はそうは思わない。当時の日本人の知的レベルは概して高く(少なくともマッカーサーが不用意に発言した「12歳」よりははるかに高く)、そんなに簡単に洗脳なんかはされない。

私は、そもそも、戦中の日本人の「極端に先鋭化した国家意識」(「国体の護持」を何よりも重要視する考え方)は、そんなに古い歴史を持ったものではないと思っている。

成る程「外敵から海に守られて来たが故に、価値観や美意識が一方向に収斂して凝結して行く傾向のあった日本」では、「忠義」や「愛国」や「清冽」等といった概念もこの流れの中で先鋭化したと思われる。また、武士集団が実力で権力を手中に収めてきた歴史は、「武」を「文」の上に置く傾向を育んできたのも事実だろう。しかし「天皇の為に命を捧げる」という考えは、「建武の中興」と呼ばれた「混乱した一時期」を除けば、たかだか明治維新以来の短い歴史しか持っていない。

幕末に突然欧米諸国の脅威にさらされた日本では、薩摩藩や長州藩といった地方政権の方が強い危機感を持ち、幕府の無策に不満だった彼等は、たまたま孝明天皇が「夷狄嫌い」だった事もあり、形骸化していた「天皇の権威」を利用する事を思いついた。折から「大日本史」を編纂した徳川光圀(黄門様)の水戸藩も、儒学(朱子学)の上に立った尊皇主義者であったから、ここで天皇の権威が一気に高まり、明治維新の原動力になった。

その後、欧米列強との格差を一日も早く埋める必要のあった明治政府は、当然「富国強兵」を志向し、欧米の軍隊の強さがキリスト教の信仰に裏打ちされている事を知った指導者たちは、「国家神道」を軍の精神的な基盤にする事を考えた。こうして、絶対的な「大権(政治に超越する軍の統帥権を含む)」をもった「国家元首」としての天皇と「国家神道の祭祀の主宰者」としての天皇が一体化するに至ったのだ。

従って、欧米諸国を畏怖させた日本軍の狂信的な「敢闘精神」も、実はそんなに底の深いものではなく、もしこの時代に、食うや食わずの国民がより絶望的な状況に直面していたら、「天皇への忠誠」は、比較的容易に「共産主義への忠誠」に取って代わられていたかもしれないというのが実態だったと思う。

しかし、多くの日本人にとっては幸いだったことに、この頃のソ連は性急な「世界同時プロレタリア革命」を意図しており、これに恐怖した米国と西ヨーロッパ諸国との間で「東西冷戦」が激化しつつあった。しかも「今なら武力による南北統一が可能」と踏んだ北朝鮮の金日成主席は、1950年の6月25日に突如38度線を破って一気に南に軍隊を進め、韓国軍と米軍は忽ちのうちに釜山まで追い詰められた。

こうなると、マッカーサーにはもはや「日本の軍国主義の復活」などを懸念している余裕はない。今や唯一最大の敵となった共産主義勢力に対抗する為には、自らが実質的に起草した日本の「平和憲法」などはどうでもよい。「いざとなれば日本の潜在的な軍事能力もフルに活用すべき」という考えに次第に傾斜していった事はこれまた当然の帰結だったと思う。

当時日本の首相だった吉田茂は「徹底的に米国のみに追随する」政策を「強い信念」を持って権力的に遂行した。現在の安倍首相は「向米一辺倒」ではないかと批判されているが、とてもそんなレベルではない程の「徹底した一辺倒」だった。

その一方で、当時の日本の知識人や都市部の労働者、学生たちの考えはどうだったかといえば、「金が全てであり、それ故に種々の矛盾を抱えた資本主義よりは、全てを働く人の観点から考えて、計画的な経済体制を構築する社会主義の方が、優れているに決まっている」という考えが根強くあった(私自身も高校生の頃まではそうだった)。

従って、彼等の目から見れば、「米国の言いなりになって、日本を勝手に西側陣営の一員と決めつけ、いつ戦場になるかもしれない最前線に自らを置く」事などは絶対にあってはならないと思われたのは当然だった。だからこそ、「非武装中立論」も当時としては「非現実的な夢物語」とまでは言い切れず、その後の「安保闘争」もあれ程の規模にまで膨れ上がったのだ。

しかし、当時は未だサンフランシスコ平和条約締結以前であり、占領軍の総司令官であるマッカーサーが実質的に日本の全権力を握っていた。だから、彼と彼の追随者だった吉田茂首相は、少なくとも「暴力革命」を公然と標榜し「天皇の追放」を主張していた共産党の幹部は容赦なく追放(レッドパージ)する事が出来たし、また農村部を中心とする多くの保守的な国民もこれを歓迎した(率直に言えば、好むと好まざるに関わらず、これが日本を大混乱から救い、その後の高度経済成長の基礎を作ったと言えるだろう)。

さて、その後起こった事はといえば、「共産主義は実は非民主的で且つ非効率的になる宿命を持っていた」という事が、世界中の誰の目にも徐々に明らかになってきたという事だ。「資本主義はなお多くの矛盾を抱えてはいるものの、共産主義や社会主義に比べれば、経済の仕組みとしてはまだ良い」というのが、世界中の殆どの人達の現時点でのコンセンサスであるかのようにも思える。一時期世界を驚かすような高度成長を成し遂げた日本人の認識も、当然その例外ではない。

日本を巡る安全保障上の問題も、終戦直後の状態と比較すれば、今は全く異なった前提の上に立って考えなければならない。当時の米国が「日本を共産勢力の脅威に対する太平洋の西端における防波堤にしたかった」のは明らかだったが、現在の米国が望むのは「自らにとっての好ましい世界秩序(世界レベルでの自由市場主義経済体制の確保とテロの防止)を維持していく為に、日本にも相応の経済的及び人的負担を求める」という事であると思う。その一方で、現時点の日本には「露骨な膨張政策をとる強大な隣国」である中国が「大きな脅威」として厳然として存在するに至っている。

日本が上記のような現時点での米国の期待にどこまで応えるべきかは、日本人自身が決めれば良いだけの事だ。私は「日米同盟の強化は現時点では日本にとっては最も有効な安全保障策であるし、その為には、『双務的』な観点から、米国にも何らかのメリットを与えざるを得ない(従って、集団的自衛権を明確に認識する事も必要だ)」という考えだが、そうは思わない人達も当然多いだろうから、そこは大いに議論して、国民的なコンセンサスを確立していけばよいと思う。

憲法についても同様で、独立国である日本の主権者である日本の国民が「第9条のように『矛盾に満ちた』従って『好ましくない』条項が含まれているので改正すべきだ」と思えば改正すれば良いし、そうでなければ改正しなければよい(私は「『無理な解釈』は国民の遵法精神の涵養にとってマイナスだという観点から、一日も早くスッキリした形に改正するべき」という意見だが、もしも昔を懐かしむ右派の人たちが、これに便乗して明治憲法にあった「国家主義的な要素」を若干でも復活させようと画策するなら、断固としてこれを阻止したい)。

西さんの言われるように、この憲法の根幹を考えたのはマッカーサーのようだし、相当無理な「解釈」をベースに「自衛隊」の前身である「警察予備隊」を誕生させたのもマッカーサーのようだ。しかし、私としては、その事については「当時の米国としては当然の事をしただけ」という以上の思いはない。当時の日本は米国の占領下にあったのだから、「怪しからん」などと言ってこれに憤慨するのは筋違いだ。

サンフランシスコ平和条約締結後は日本はいつでもこの憲法を改正する事が出来た訳だし、現実に改正したい人たちも多かったと思うが、「当面は第9条を出来るだけ温存したほうが自分たちの政治的な考えを推し進める上で有利」と考える人たちが国会議員の1/3以上を占める状況がずっと続いてきたので、改正は実現しなかった。それだけの事だ。これはマッカーサーには何の関係もないし、まして況や、「日本的な価値観」にも「武士道精神」にも何の関係もない。

この状況をもたらしてきたのは、終戦後70年の「左翼思想」の流れであり、その解明はどこかでなされるべきだが、少なくとも米国が持ってきた教育制度による「洗脳」によるもの等ではないから、そんな事に言及する必要は全くないと私は思う。戦後の教育制度の問題については機会を見てあらためて論じたい。