国連から「子どもの人権侵害」への懸念で勧告を受けている日本

先日は参議院議員会館にヒューマンライツウォッチの吉岡さんと、実際に里親をされているホッブスさん、吉成さんたちがいらっしゃり、日本の社会的養護・児童養護の現状についてディスカッションを行いました。


国政も巻き込んで、子どもたちのために闘う決意を新たにしている夏ですが、調べ物をしていることをせっかくなので皆さまにも共有。

本日は、いかに我が国が「子どもの権利・幸福」を軽視し、無為無策の政治を行ってきたかというお話です。

社会的養護・児童養護に関する過去記事はコチラ。
http://otokitashun.com/tag/%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E7%9A%84%E9%A4%8A%E8%AD%B7/

「子どもの権利条約」(児童の権利に関する条約)というのをご存知でしょうか?
大人と違って声があげづらい、子どもたちの権利や幸福を守るために国連で想起された国際条約です。我が国も1994年に批准をしています。

児童の権利に関する条約(外務省HPより)
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/jido/zenbun.html

五十四条からなる条文によって様々な児童・子どもたちの権利がうたわれているわけですが、こと社会的養護・児童養護の分野について言えば、すべての子どもたちは家庭環境を得られるべきである旨が明記されています。

「子どもの権利条約」前文
…家族が、社会の基礎的な集団として、並びに家族のすべての構成員特に児童の成長及び福祉のための自然な環境として、社会においてその責任を十分に引き受けることができるよう必要な保護及び援助を与えられるべきであることを確信し、

 児童が、その人格の完全なかつ調和のとれた発達のため、家庭環境の下で幸福、愛情及び理解のある雰囲気の中で成長すべきであることを認め、

 児童が、社会において個人として生活するため十分な準備が整えられるべきであり、かつ、国際連合憲章において宣明された理想の精神並びに特に平和、尊厳、寛容、自由、平等及び連帯の精神に従って育てられるべきであることを考慮し…

「子どもの権利条約」第二十条第三項
監護には、特に、里親委託、イスラム法のカファーラ、養子縁組又は必要な場合には(if necessary)児童の監護のための適当な施設への収容を含むことができる。解決策の検討に当たっては、児童の養育において継続性が望ましいこと並びに児童の種族的、宗教的、文化的及び言語的な背景について、十分な考慮を払うものとする。

上記の「必要な場合には」というところがポイントで、日本語にするとあっさりと流されているような印象を受けますが、これは原則としては家庭環境への措置を規定しています。

ユニセフ「子どもの権利条約実施ハンドブック」(完全改訂第三版)p.282
子どもの権利条約20条は『子どもの監護のための適当な施設』への収容が最終手段であり、代替家族への委託の次によい策であることを、明記はしていないものの含意している。

『必要な場合には』という修飾語が使われていることは、子どもによっては施設養育が時に最善の措置になることもあるという事実を受けたものだ。たとえば①里親との関係が何度も破綻した子ども、②分離を望まない大人数の兄弟姉妹、③自立する直前の10代後半の子どもである。

上記のようにユニセフが示すガイドラインには丁寧に「必要な場合」のケースが明記してありますし、さらには国連の

「児童の代替的養護(=社会的養護)に関する指針」
http://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/2r98520000018h6g-att/2r98520000018hly.pdf

の中でも、再三にわたって

「児童たちは原則、家庭環境が与えられること」
「施設養護は段階的に廃止、脱施設化を進めていくこと」
「施設への入所は、必要に応じたごく限られたケースのみとすること」

が述べられています。

パラグラフ 22.
専門家の有力な意見によれば、幼い児童、特に3歳未満の児童の代替的養護は家庭を基本とした環境で提供されるべきである。この原則に対する例外は、兄弟姉妹の分離の防止を目的とする場合や、かかる代替的養護の実施が緊急性を有しており、又はあらかじめ定められた非常に限られた期間である場合であって、引き続き家庭への復帰が予定されているか、又は結果として他の適切な長期的養護措置が実現する場合であろう。
パラグラフ23
施設養護と家庭を基本とする養護とが相互に補完しつつ児童のニーズを満たしていることを認識しつつも、大規模な施設養護が残存する現状において、かかる施設の進歩的な廃止を視野に入れた、明確な目標及び目的を持つ全体的な脱施設化方針に照らした上で、代替策は発展すべきである。

パラグラフ125(不適切収容の禁止)
国又は地方の所轄当局は、かかる施設へは適切な入所のみが認められるよう、厳格な選抜方法を設けるべきである。

もちろん、施設がまったく不必要だとは書いておりませんし、施設で働く方々や育つ子どもたちを否定するものではありません。(施設のような環境が必要な児童も一定数、必ず存在します)

しかし我が国では、こうした国際社会からの要請に眼をつむり、今に至るまで施設養護・集団養護の政策を推し進めてきました。
進めたというより、家庭養護を無視してきたという方が正しいでしょう。

「子どもは3歳までは親元で愛情いっぱいで育てられるべき。保育所に入れるなど、もってのほか!」

なんて言いながら、

「集団養育には、個別養育にも勝る多くの利点がある」

などという政策提言を受け入れて、乳児院や大規模施設の存続に手を貸し続けてきたのが日本の政治の実態です。

ちなみに「集団養育にはメリットが~」と主張する関係者・有識者が、自分の子どもを施設で育てたという例は確認されていないそうです(苦笑)。
集団養育といえば、イスラエルの「キブツ」が失敗したのも記憶に新しいところですね。

そして我が国では

「子どもは親の従属物」

という社会通念から、親権=大人の権利を重視するあまり、子どもの権利や意志をないがしろにしてきたことも、これまで過去記事で述べてきた通りです。

なお国際条約の効力は、国内法に勝ります。

子どもの権利条約に批准しながら、いまだに親権者の意思を第一とし、それを理由に施設措置を進める日本は国際条約に違反している状態と言えます。

そのような状況ですから、実は我が国は2010年、「国連子どもの権利委員会」から公式な報告書内で勧告を受けています。

子どもの権利委員会 第三回日本政府報告書審査 最終見解
(2010年6月20日の勧告)

52(親の養護のない児童) 委員会は,親の養護のない児童を対象とする家族基盤型の代替的児童養護についての政策の不足,家族による養護から引き離された児童数の増加,小規模で家族型の養護を提供する取組にかかわらず多くの施設の不十分な基準,代替児童養護施設において広く虐待が行われているとの報告に懸念を有する。

家族基盤型の代替的児童養護、つまり里親措置や特別養子縁組の取組みが著しく遅れていることを筆頭として、児童の権利を充分に担保するための政策が行われていないことが直接的に指摘されています。

「国連からの、人権侵害に関する勧告」

なんて、どこの途上国や紛争国が受けるものかと思われるかもしれません。
しかし我が国は、子どもの人権を侵害する該当国だったのです。

この事実はあまり知られていませんが、われわれ日本国民ひとりひとりが重く受け止めるべき事実ではないでしょうか。

他国がやっているから、国連が言うから、正しいわけではないという方もいるかもしれません。

しかし、子どもの権利条約は日本も自ら批准しているものであり、子どもや将来世代の意見を軽視する日本の政治を改善していくためには、このような「外部からの意見」を積極的に活用していく必要があります。

今月はこうした児童養護についての知識を啓蒙するイベントを開催いたしますし、

8/22(土)「すべての子どもたちに、温かい家庭を!」発足記念特別イベントを行います
http://kidshome.jp/201507218/

9月議会に向けて都政・国政の両面から引き続き強く改善を求めて政策提言をしていくものです。

いま仕掛けていることもありますので、また形になればご報告していきたいと思います。

それでは、また明日。

おときた駿 プロフィール
東京都議会議員(北区選出)/北区出身 31歳
1983年生まれ。早稲田大学政治経済学部を卒業後、LVMHモエヘネシー・ルイヴィトングループで7年間のビジネス経験を経て、現在東京都議会議員一期目。ネットを中心に積極的な情報発信を行い、地方議員トップブロガーとして活動中。

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