マレーシアのナジブ首相は5日、インド洋のフランス 領レユニオン島で先月29日見つかった航空機の一部が、フランス当局らの調査の結果、昨年3月に行方不明となったマレーシア航空370便(乗員、乗客239人)のものと判明した、と発表した。
クアラルンプール発北京行きの同便は昨年3月8日未明、南シナ海上空で消息を絶った。マレーシア当局は同機の墜落を裏付けるために懸命の捜査を行ってきたがこれまで何も発見できずにきた。
マレーシア航空関係者によれば、「インド洋で墜落した航空機が海流に乗ってレユニオン島海岸まで運ばれたのだろう。発見された航空機の部分に付着していた海洋生物を分析したら、墜落地域を特定できるかもしれない」という。
当方はその日、夜のニュース番組を見ていたら、マレーシア航空会社関係者に、「自分の息子はまだ生きている」と叫ぶ乗客の家族関係者や、「政府は事実を隠している」と涙声で訴える中年女性の姿が映し出されていた。
当方は、涙で抗議する女性たちの姿をみて、「彼女は如何なるものが見つかったとしても、もはや信じることができないのではないか」と感じた。航空機が行方不明となって以来、その原因も究明できない航空会社や政府に対し、彼女たちは不信感を募らせてきたはずだ。不信感が余りにも深くなったため、事実が提示されたとしてもそれを安易には受け入れることができなくなったのだろう。
わたしたちは日々の生活の中で、信頼がないため誤解や紛争、国家間では戦争まで生じてくるのを目撃している。例えば、日中韓でも信頼が決定的に欠如しているから、ささやかなことで葛藤が生じる。日韓両国は1965年、日韓基本条約、請求権協定を締結し、問題の終止符を打ったが、韓国は今日、自ら署名した外交文書の内容を認知できなくなっている。なぜならば、日本を信頼できなくなったからだ。明治の産業革命遺産の世界遺産登録問題では、韓国側の約束破りに対し日本外務省側が逆に「韓国はもはや信頼できない相手だ」と憤慨している、といった具合だ。
身近な問題では、安全保障関連法案問題でも安倍政権を信頼できない野党側は日本を取り巻く国際情勢を知りながら、反対を叫ぶ。問題は同法案ではなく、安倍政権への信頼欠如だ。信頼できないから、事実を提示されても、それを受け入れられず、画策や謀略と受け取り、益々反発していく。不信のサークルだ。
事実を提示すれば、相手を説得できると考える人は、不信の世界で蠢く人々の恨み、つらみを理解していないのだろう。マレーシア航空の場合でも明らかになったように、不信を解きほぐす作業は大変だ。航空会社は今後、新たに見つかった事実を積み重ねながら、失った信頼を回復していかなければならない。時間がかかるが、それ以外にないだろう。
私たちはインターネット時代を迎え、相互に情報交換できる最高の環境圏に生きている。情報は不足していない。24時間、互いに対話できる手段を持っている。人間同士の信頼感だけが益々希薄化しているのだ。信頼の無い世界では事実は存在しても発見できない。ただし、事実に基づかない信頼は永遠性がない。その意味で、「信頼」と「事実」は相互補完関係といえるだろう。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2015年8月8日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。