もう一つの「南京大虐殺」

重慶

きょう放送の「そこまで言って委員会NP」は、また南京事件。櫻井よしこ氏が持論を展開したが、死者が30万人という数はありえないにせよ、日本軍が民間人を殺害したという意味の「虐殺」はゼロではないだろう。

それより確実に証拠のある虐殺が、同時期に行なわれた。南京・広州・重慶などの戦略爆撃である。特に重慶爆撃は日本軍みずから記録している大規模な絨毯爆撃で、1万人以上といわれる死者のほとんどは民間人である。これは世界史上初の大規模な無差別爆撃であるばかりでなく、3年間に218回も爆撃した回数も世界記録だ。

満州事変について日本政府が不拡大方針を表明した直後に行なわれた錦州爆撃は、石原莞爾が「軟弱外交を爆砕」するためのものだった。このときから軍事拠点のみならず都市全体を爆撃する手法が始まり、それが最大規模で行なわれたのが重慶だった。

これは非軍事施設の攻撃を禁じる国際法に違反しており、1937年9月、国際連盟は対日非難決議を23ヶ国諮問委員会の全会一致で可決した。アメリカのルーズベルト大統領は議会演説で「非戦闘員を無慈悲に殺害する非人道的行為」を強く批判し、このような「疫病」を文明社会から隔離すべきだ、と日本に対する共同制裁を主張した。

このとき重慶に滞在していたエドガー・スノー、アグネス・スメドレーなどのジャーナリストは日本軍の執拗かつ残虐な爆撃を世界に報じ、写真誌『ライフ』は重慶にセオドア・ホワイトを派遣して、爆撃を多くの写真で報じた。これは真珠湾攻撃とともに「アンフェアな日本」というイメージを世界に植えつけた。

公然たる民間人の「虐殺」を日本軍が大規模に始めたことは、南京事件より重要である。これが前例となってドレスデン爆撃や東京大空襲や原爆投下などの戦略爆撃が行なわれ、それは広島や長崎に重慶をはるかに上回る犠牲をもたらしたのだ。