少しずつ、議論が目につくようになってきたairbnb、つまり一般住居を人に貸すような個人ビジネスを認めるべきかどうかですが、これについて少し、掘り下げて考えてみたいと思います。
バンクーバーのウォーターフロントの高級コンドミニアム街。その管理組合である議論がなされました。「物件に居住できるのはその所有者とその家族に限る。やむを得ず賃貸にする場合、ユニット全体の1割を超えない範囲で許可される」という議案を通すかどうか、であります。採択の結果、購入当時から投資用案件として賃貸していた人はこれを適用除外とし、現時点からこのルールを採択する、という折衷案で収まりました。
なぜ、このような厳しい管理組合の規定を作るのか、といえば賃借人の増加は集合住宅の価値を下げると考えられているからです。集合住宅の管理思想は日本よりはるかに遅れてできたカナダの方が進化しつつあります。上の例の場合、様々な見知らぬ人が多数出入りすることで建物全体のセキュリティレベルが下がる、あるいは、エクスクルーシブネスが悪化すると捉えます。
街中のにぎやかな通りに面する40階近いあるコンドミニアムは様々な人が行き来し、その部屋に遊びに来る人も多く、エレベーターはいつも混雑しています。こういう建物からは所有者の居住がだんだん減ってくるのです。言い換えれば逃げるのです。欧米、特にイギリスでは自分の居場所が他の人に占拠されるとどんどん遠方に下がっていく傾向があります。ロンドンの住宅にはロンドンっ子が少ない、と揶揄されたことがありますが、バンクーバーでも同じような傾向がないわけではありません。
日本で上記のような制約をつけることは難しいでしょう。日本には「難しい人」が多く、難癖をつけ、クレーマーに留まらず、最後、事件まで起こしてしまうことすらあるからです。それ故、誰も命を賭けて制約をつけようとしません。もう一つは罰金制度が甘いと思います。私の住むコンドミニアムでも分厚いルールブックがあり、それに従わなければ様々な罰則があり、罰金を払わないケースは厳しく糾弾され、最後、Lienという不動産に一種の抵当権をつけ、その人がその物件を売却する際にその抵当たる罰金が支払いに充てらえるようになっています。そこまで行くと所有者は普通、embarass(恥をかかせられた)とし、降参するケースが多いのです。
airbnbを許可した場合に予見できることはトラブルが続出する可能性が高いということです。騒音、パーティー、人の出入り、安全、衛生、ゴミ出し…などなど。そしてそのトラブルを解決する能力は管理組合にはありません。挙句の果てにそれを許した役所に「責任がある」とその矛先を変えるのです。これは日本の悪い癖です。小さい政府ではなく、役人に一定水準管理された社会を通して日本の道徳を維持しているという状態なのであります。
私は小さい政府は大好きなのですがそれは日本社会では極めて難しい課題であります。国民レベルで問題解決できないのはほぼ単一民族である「宿命」が生んだともいえましょう。(同じ人種は意地を張りますから引け際が難しくなります。)それゆえ、今でも大きな政府と役所のルール設定に依存するしかないのが悲しいかな、日本なのであります。
では、airbnbをこのまま許可しないのか、とすれば日本は世界の趨勢から後れを取ってしまいます。特に訪日外国人3000万人を目指す中で宿泊施設が圧倒的に不足しているとされる中でairbnbは時代の要請だともいえます。
割り切って考えるなら食事を提供しないという大前提を作ればハードルは若干下がる気がします。また、政府が状況を把握しやすくするために許可制ではなく登録制にするという発想もあります。また、道徳的制約ルールを作ったうえでそれを守らなければ厳しいペナルティが待ち構えているということならいけるのではないでしょうか?確かairbnbも評価の悪いところはリストから落とすなどの仕組みがあったはずです。そのあたり、民間のアイディアとタイアップして落としどころを作ればよいでしょう。
そして、それ以上に管理組合がもっとしっかりとしたポリシーと権限を持つようにすることではないでしょうか?一定の議論の中で落としどころは出てくると思います。頭の良い役人が一方的に作るのではなく、もっと民間の声を反映させてみたらどうでしょうか?
今日はこのぐらいにしてみましょう。