ドイツがこれほど愛されたことはこれまでなかったのではないか。考えてみてほしい。数週間前、ギリシャの金融危機の時、財政の規律を求めるショイブレ独財務相に欧州メディアはナチス紋章を付け、揶揄う記事を掲載していた。メルケル独首相などは髭を付けられ女ヒトラーになぞられたほどだ。要するに、ドイツはギリシャの金融危機では緊縮財政に固守する頑固な国といったイメージが先行する憎まれ役を演じてきた。
あれから1カ月も経過しないうち、ドイツは北アフリカ・中東諸国の難民たちの“乳と密の流れる約束の地”と見なされ、ブタペスト東駅に集まったシリア難民たちは口々に、「ジャーマニー、ジャーマニー」と叫び、ドイツ行きを求めた。多くの若者たちが昔、米国に夢を託した時代があったが、中東の難民たちは今、ドイツに夢を託しているのだ。“Go to West” から、“Go to North”だ。
2万人余りの難民が先週末、ハンガリー、オーストリア経由でドイツ入りした。欧州でも豊かな国に数えられるオーストリアに難民申請した人々は1000人にも満たず、大多数の難民がオーストリアを通過していった。そんなこともあって、オーストリア国営放送は、「ウィーンはなぜ通過地に過ぎないのか」と呟く記事を電子版に掲載していたほどだ。
難民たちがドイツに憧れるのにはそれなりの理由がある。欧州一の経済大国であり、社会インフラは整備されている。それだけではない。福祉制度も充実し、国民は勤勉な民族だ。国際社会からも高く評価されている。シリア難民の場合、家族や親戚がドイツで居住しているケースも少なくないから、そこで難民申請したいという願いがあったわけだ。
オーストリア日刊紙プレッセは8日付1面で、「なぜドイツが難民たちに愛されるか」をテーマに特集していた。難民の中には自分の娘の名前に「アンゲラ・メルケル」と名付けた両親もいたという。
嫌われるより、愛されるほうがいいが、難民たちに希望の地とまで受け取られることに対して、ドイツ国民はくすぐったくないのだろうか。ドイツは戦後、ナチス・ドイツ軍の蛮行ゆえに、国際社会から久しく警戒され、愛される経験はほとんどしていない。欧州連合(EU)加盟国となった後もドイツ人は自己規制し、経済大国となった後も政治の舞台ではフランスと歩調を合わせ、出しゃばることを極力避けてきた。
そのドイツが戦後70年を迎えた今日、中東の難民たちから、「ジャーマニー、ジャーマニー」と愛されている。普通ならばルンルン気分になっても可笑しくないほど、愛されているのだ。
メルケル首相が8月末、シリア難民に対してはダブリン条約を停止すると表明したことが、難民たちに誤解され、ドイツに彼らが殺到する結果となった、という冷静な分析もある。実際、ドイツでは今年上半期、約4万4000人のシリア難民がドイツで難民申請をしたが、拒否された件数は131件に過ぎない。すなわち、ドイツ側はシリア難民をほぼ無条件で受け入れてきたわけだ。シリア難民がドイツ行きを願うのは当然だ。
参考までに、旧ソ連・東欧共産政権時代、欧州最大の難民収容国家の名誉を受けてきたオーストリアを中東難民たちが敬遠する理由は、同国最大の難民収容所トライスキルヒェが難民で溢れ、収容できないため、難民たちがテント生活を余儀なくされている、というニュースが難民コミュニティ―に伝わっているからだ、という。
ところで、特定の人だけが愛された場合、大多数の他の人は羨望感に捉われ、時にはジェラシーに悩まされるものだが、今回の場合、欧州の他国からはドイツに対してジェラシーを感じる反応は見られない。難民たちの収容には莫大な財政負担が強いられるからだ。財政事情が厳しい時、財政負担となる難民の受け入れを積極的に実施する国などは本来ない。
メルケル政権は難民対策として60億ユーロの特別予算を計上すると発表している。愛され、信頼された代価として財政負担を甘んじ、これまで何も苦言を呈していない。もちろん、バイエルン州に先週末、難民たちが殺到した直後、メルケル政権の与党パートナー、バイエルン州のキリスト教社会同盟(CSU)のホルスト・ゼ―ホーファー党首は「これでは大変だ」と不満を吐露したが、その直後、メルケル首相はキリスト教民主同盟(CDU)、社会民主党(SPD)、CSUの与党3首脳を集め、難民対策で意見の調整をしている。メルケル首相の抜け目ない危機管理が功を奏してか、連立政権内ではこれまで表立った反対の声は聞かれなくなった。ガブリエル副首相などは、「わが国は今後数年間で50万人の難民を収容できる」と主張するほどだ。
欧州統計局(Eurostat)によると、今年上半期のEU難民申請者総数は41万7430人、その内、ドイツに申請した数は17万1785人で、EU全体の約41%を占めている。
民族の歴史は波乱万丈だ。ユダヤ民族を迫害した国家として、欧州諸国から久しく強い警戒心を持たれてきたドイツは今日、中東の難民たちから“乳と密の流れる約束の地”として慕われている。「愛されるドイツ」という新境地に突入したドイツが今後、その新しい役割をどのように演じていくか注目される。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2015年9月10日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。