日本でノーベル賞受賞者はなぜ増える?

二日続けてノーベル賞受賞者を出した日本は新聞もワイドショーももちきりであります。これで日本人の受賞者はアメリカに国籍を動かしている南部さんと中村さんを入れて24名となります。更に21世紀以降、自然科学賞部門の受賞者国別で日本は米国に続いて世界第2位を誇る(Wiki)のでもあります。素晴らしいの一言であり、更にその受賞者数を増やしていただきたいと思います。

ちなみに日本人で受賞できそうな候補者はまだ十数人の名前が現時点で上がっており、更なる期待を寄せられそうです。

さて、日本はなぜ、ここにきて急速にノーベル賞を受賞できるようになったのでしょうか?

まず、24名を分析すると物理学賞は11名いますが、うち8名が今世紀に入ってからです。同様に科学賞は7名のうち6名、生理学・医学部門では3名のうち2名であります。それ以外は文学賞と平和賞で3名ですが20世紀に受賞されています。つまり、物理、化学、生理・医学での総受賞数21人に対して16人と実に76%を今世紀に入って受賞しているのです。その多くの研究は長い歳月をかけて積み上げたものであるとすれば20世紀後半以降の日本の研究が花咲いたともいえるでしょう。

日本人は世界の中でもある意味、独特な特徴があります。それは研究や物事に対するあくなき追及、没入とも言いますが、そのレベルが圧倒しているように思えます。長く海外にいるとこちらの人は時間とワークバランス感覚が素晴らしい一方でこれほどのこだわり感を日本人ほど持つ人は少ない気がします。

そして今回はノーベル賞という形で見ていますが、日本人の深堀の姿勢は民間事業から主婦の料理のレシピまで驚くべき研究力、探求力を持っています。自動車からスマホの部品まで日本の製品がないと世界が困るほど次々に新しいアイディアを生み出す能力は自画自賛してもよいと思います。

長年海外にいると白人の弱みは最後の詰めと細かい作業だと思います。80%の仕事や大枠の捉え方、アイディアや発想は素晴らしいのですが、最後の気力を振り絞るのはあまり得意ではなく、投げてしまう傾向が往々にみられます。その点、日本人は100%を勝ち得ても更に確証を求める、というスタンスを持ち続けています。この姿勢がこれだけの成績として残ったのだろうと思います。

そういえば中国は今年、「中国製造2025」を肝いりで掲げました。つまりモノづくり大国を目指すということで2025年までにモノづくり強国(大国)の仲間入りをし、2035年までにその中位レベルに達し、建国100年(2049年)でその上位に食い込むというものです。

そのプランについて中国が自己評価しているのですが、中国の弱みは基礎素材、基礎部品、基礎工程、基盤技術といった基礎研究にあると指摘しています。更に「革新へ根気よく投入し続けることが不充分で、また革新により発展を引率する理念が弱かった。製品の品質は引き続き改善しなければならない。資源・環境の制約はますます強くなり、産業構造はあまり合理化されていなかった。企業が多くあるが、真に国際競争力のある企業は比較的少なかった。大量の人材がいるが、多国籍企業のリーダーシップ的な人材などに欠けている」(理論中国より)とあります。なかなかよい自己分析です。

日本と中国の差とは私は清貧思想そのものだと思います。「三度の飯より研究」というのは日本人ぐらいでそれは時として世界から批判の対象になるわけですが、人の価値観が物欲ばかりではなく、達成感により大きな快感を求めるその精神構造の差ではないかと思います。

私はこれは日本人のDNAだと信じていますが、一方で若い人たちにそのハングリーさをどう継承していくか、これはなかなか難しい課題かもしれません。廻りが楽しそうにしている時も地味な仕事に没頭できる精神力は並大抵では成し得ません。しかも研究とは人から強要されるのではなく、自分から率先してするものです。

このあたりを考えると20年後、30年後も日本が世界になくてはならない国に育つ努力を怠ってはなりません。中国風に言えばさしずめ「日本創造2025」となるのでしょうか?

ノーベル賞受賞はうれしい話ですが、これを続ける道も作っていかねばならないことを改めて強く思う次第です。

今日はこのぐらいにしておきましょう。

岡本裕明 ブログ 外から見る日本、見られる日本人 10月7日付より