沖縄の翁長雄志知事が9月21日、スイス・ジュネーブの国連人権理事会で演説をして「沖縄の米軍基地は人権侵害」と訴えたという、そして予想されたことだが、知事に同行取材した沖縄タイムスは「知事の訴え 世界に届く」(23日付)といった大見出しで報道したという。
▲国連人権理事会のあるジュネーブの国連欧州本部(2012年11月 撮影)
米軍基地問題は日米間の外交議題だ。一知事が海外で政府とは反対の立場を訴えるということは通常考えられない。沖縄知事の言動は行き過ぎた行為であり、権限逸脱と批判されても仕方がないことだ。ただし、安倍政権を日頃から糾弾してきた知事にとってはそんなことは分かり切っていたことだろう。国連の場を利用して安倍政権を批判できればそれで目的達成といった考えから、沖縄からスイス・ジュネーブの国連の欧州本部までわざわざ出かけていったのが真相ではないか。
ところで、「国連スピーチ」といえば、ニューヨーク国連総会の一般基調演説を思い出し、そのように受け取る人々が結構いるが。「国連スピーチ」といっても、国連はニューヨークの国連本部、スイスの欧州本部、ウィーンの国連などに分かれている。沖縄知事が訪れた国連建物はスイス・ジュネーブの欧州本部だ。そこには国連人権理事会の事務局がある。沖縄知事は21日午後、国連人権理事会で名護市辺野古への米軍基地建設に反対する声明文を読み上げたのだ。
それに先立ち、沖縄知事は同日午前、非政府機関(NGO)が主催したシンポジウムに出席し、15分余り語ったという。それを沖縄タイムスは「知事訴え、世界に届く」という見出しで報道したわけだ。
「知事がスイスのジュネーブの国連会場で沖縄の県民の願いを訴えてくれた」という風に受け取り、知事の努力に敬意を払う県民もいるかもしれない。しかし、厳密にいえば、沖縄知事の発言は国連で発言枠を持つNGOから2分間の発言権を譲り受けて行われたものだ。知事は人権理事会に招かれたゲストではない。知事は準備してきたテキストを読み上げただけだ。正味、2分弱だったという。沖縄タイムスはそれを「国連スピーチ」と評し、大々的に提灯記事を掲載したわけだ(コラムニスト・江崎孝氏「沖縄時評」参考)。
沖縄タイムスは23日付の社説の中で、「国連の場で沖縄県知事が基地問題を訴えるのは初めてのことである。苦難の道を歩んできた沖縄の人々の痛切な思いを代弁した歴史的なスピーチであり、高く評価したい」と報じている。同紙によると、知事は 「日米両政府という大きな権力の中に、私たち小さな沖縄県が理不尽な状況を強いられている。正当な権利、正義を訴える方策として(国連の場は)大きな力になる」と、「国連スピーチ」の意義を語ったという。
知事がいうように、国連(での)スピーチは特別なものだろうか。少なくとも、国連の“建物内”で会議を開くことは特別なことではない。ウィーン国連では認定されたNGOだったら、会議場が空いている時には借りられる。例えば、ウィーンで理事会が開催される理事会用会議室を借りる場合、400ユーロも払えば一日借りられるのだ。もちろん、通訳代や食事、コーヒー代などは別払いだ。だから、「国連で会議を開きました」といっても、何も特別なことではない。市内の近代的な会議場を借りるより安上がり、という理由で年に何度も国連建物内で会議を開くNGOも存在するほどだ。それだけではない。「国連で会議を開いた」と宣伝すれば、国連を知らない多くの人々から尊敬の目で見られる、といった‘付加価値‘が期待できる。沖縄タイムスの知事の「国連スピーチ」という見出しは、その効果を十分に計算した上での表現だろう。
本題に戻る。沖縄は日本の国土の一部だ。その一地方自治体が日本の安倍政権の外交・安保問題に対して、海外で自国政府を批判するやり方は隣国の大統領の「告げ口外交」を彷彿させる。ただし、大統領の場合、一国の代表だから外交権はあるが、沖縄知事は一知事の代表であり、繰り返すが、外交事項はその権限外だ。その上、知事の「自己決定権」といった表現は不適当だ。沖縄県民は決して少数民族ではないのだ。立派な日本国民であり、沖縄は日本の大切な国土だ。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2015年10月11日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。