金正恩の「ゲティスバーグ演説」 --- 長谷川 良

韓国聯合ニュースによると、北朝鮮の金正恩第1書記は朝鮮労働党創建70年記念行事の演説の中で、「人民」という言葉を約90回使ったことから、韓国統一省は「人民思いの指導者というイメージ作りを狙った」と分析しているという。


▲「リンカーンのゲティスバーグの演説」(ウィキぺディアから)

独裁者が重要な政治イベントで演説し、特定の言葉や表現を繰り返した場合、独裁者は必ずそこに特別の思惑を込めている、と受け取ることができる。金正恩氏の演説で「人民」という言葉の繰り返しを聞いた時、当方は直感的に、「金正恩はエイブラアム・リンカーンのゲティスバーグの演説(1863年11月19日)を意識しているな」と思った。「人民の、人民による、人民のための政治」というリンカーン米大統領の有名な演説だ。
北朝鮮は独裁国家であり、主権者としての人民は存在しない。にもかかわらずというべきか、それ故にといった方が当たっているかは別として、金正恩氏は「人民」という言葉を繰り返し使った。金正恩氏は「人民」という言葉を果たして理解しているのだろうか。これを今回のコラムのテーマとして考えた。

金正恩氏は「人民」の生活向上に関心があるのだろうか。父親の故金正日労働党総書記から政権を譲り受けて以来、その実績を見ると、決して皆無とはいえない。綾羅人民遊園地の完成、平壌中央動物園の改修、そして世界的なスキー場建設など、国家プロジェクトと遊戯用インフラの整理に腐心してきた。空の窓口、平壌国際空港が近代的に改築オープンしたばかりだ。
金正恩氏の言葉を借りれば、全ては「人民の生活向上」のためというが、空腹に悩まされる一般市民が遊園地やスキー場に足を運ぶだろうか。海外旅行の自由もない人民に、国際空港の近代化はどんな意味があるのだろうか。
申し訳ないが、金正恩氏の口癖の「人民の生活向上」は、大多数の生活苦にあえぐ人民のためというより、指導部エリート層の生活向上のためのインフレ整備といった性格が濃厚だ。

隔離された住居エリアで幼少時代を過ごし、人民と直接接触する機会がなかった金正恩氏は、「人民」という概念を果たして正しく理解しているだろうか。130キロの体重を持て余し、足を引きずらざるを得ない30代の北朝鮮青年はいるだろうか。彼が演壇から「人民の」「人民の生活向上」を繰り返し叫んだとしても、どれだけの人民が感動するだろうか。金正恩氏は人生で共に生活したことがない「人民」という言葉を繰り返し、その「人民の生活向上」を熱っぽく語ったわけだ。

金正恩氏は今回の軍事パレードのため兵力2万人と群衆13万人を動員した。人民の、人民による、人民のための政治を目指す国の統治とはとても思えない浪費だ。家族の食糧を確保するため全てのエネルギーを投入しなければならない北の大多数の人民は金正恩氏にとって永遠の異邦人であり続けるだろう。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2015年10月14日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。