松本さんの “高校から「ディベート教育」を”と言う比較的地味な話題の記事が読者の支持を集めた事は、「安保法制」を巡っての国会論議や専門家の説得力に欠ける論議に呆れていた国民の立場からすると、誠に意義深いものであった。
※ハーバード大の学生がディベート対決で受刑者に敗れたことがアメリカで話題に(出典;wikipedia)
デイベートと言えば、サンデル教授がNHKの「白熱教室」で紹介した「アドボカシー(立場の擁護論)」は、西欧では古代ローマ以来の伝統で、米国では松本さんも紹介している様に1858年のリンカーンとダグラスとの間の論争を模した「リンカーン・ダグラス論争」が100年も前から高校のデイベート教育に取り上げられている。
この論争は「籤引き」次第では「自分の考えに反する立場」を合理的で普遍性に富んだ論議を進めて説得する訓練を受ける絶好の場で、多くの人材を育てて来た。この方式の論争で、 囚人の弁論チームがハーバード大学弁論部を破ったというニュースが話題となり、教育としてのデイベートのあり方についての論議が米国で盛り上がっている。
「囚人に弁論教育を施すなど無駄その物だ」と言う厳しい批判はさて置き、ここで囚人チームを勝利に導いたBPI (The Bard Prison Initiative)と呼ばれる教育プログラムに触れてみたい。このプログラムは風光明媚なハドソン川沿いにあるフランクリン・ルーズベルト記念館近くの美しいキャンパスに囲まれたバード・カレッジで生まれたプログラムである。
1975年に29歳の若さでバードカレッジの学長に就任したLeon Botsteinは、アメリカ交響楽団やエルサレム交響楽団の常人指揮者も兼ねる高名な音楽家兼学者だけでなく、資金や優秀な教授、学生を集める事にも優れた名経営者で、教育者としても哲学、評論、アートを中心にした特徴あるカリキュラムをバードカレッジに導入して、評判の高い大学に育て上げた人物でもある。
又、若年入学者を認める事でも有名で、女優のミア・ファローの息子などは、15歳でバード・カレッジを卒業し、米国の指導者の登竜門であるローズ奨学生に選ばれオックスフォードに留学し、その後はエール大学ロースクールを卒業し、現在は多方面で活躍しているなど、多くの有用な卒業生を生み出している。
この特徴ある教育が出来るのも、政府が教育に口出しする事を禁じている米国の伝統があっての事であろう。
この大学のもう一つの特徴は、必修教養課程として全ての新入生が最初の3週間に「L&Tプログラム( Language-言語と Thinking―思考)」と言う科目を履修する事が義務付けられ、作文力の鍛錬、読書力、正確で明快な物の考え方 、緻密な自己分析、生産的共同作業や討論の重要さを徹底的に叩き込まれる事である。
この教科の必読書にはPlato,, Saint Augustine, Confucian、 Dante, William Shakespeare, Galileo Galilei, Jean Jacques Rousseau, Karl Marx, Charles Darwin, Friedrich Nietzsche, W. E. B. Du Bois, Sigmund Freud, Virginia Woolf, Chinua Achebe, and Primo Levi.などの広い範囲の名著が含まれ、その中から選択して読書する事を求めら、教員と学生の比率が1:10と言う恵まれた環境で教育が行なわれている。
更に、新入生の冬季必修科目には「 The Citizen Science Program」と言う教科が設けられ、例えば「世界の伝染病被害の軽減に我々はどの様な役割を果たせるか?」と言った命題を巡って、実験室を使って科学的な分析を行なったり、伝染病の重要性と危機管理の方法を討論し解決モデルを作成して近隣市民に公開する事が義務付けられすなど、理論だけではく現場重視の教育も怠らない。
囚人弁論チームメンバーが所属するBPI (The Bard Prison Initiative)プログラムは、大学から程遠くない処に散在する重罪暴力犯用の刑務所から10倍の競争率から選抜された200人の囚人で成り立ち、バードカレッジの一般学生と同じ履修教科を教授が刑務所に出向いて教えているが、囚人のインターネットの使用は禁止され、参考書も事前に申請して許可を受ける必要があるなど学習環境は厳しい物がある。
ハーバードとの討論会で囚人チームに与えられた論題は、“米国の公立学校は、不法移民の受け入れを拒否する権限を与えられるべきである。- Public schools in the United States should have the ability to deny enrollment to undocumented students.”と言う、弁論チームメンバーの意見と正反対の立場の擁護であった。
1時間と決められた討論を終って,ラトガース大学、ホバート&ウイリアム・スミス大学、コーネル大学各教授の3名からなる審判は2対1で囚人チームの勝利と判定したが、囚人チームの勝利は偶然ではなく、過去にも陸軍士官学校やバージニア大学等の強豪弁論チームを破った実績を持っていると言う。論議の詳細内容は伝わって来ないが、囚人チームの論議にはエリート社会では気がつかない目からウロコ的な指摘でハーバードを苦しめたらしく、ハーバードチームも称賛を惜しまなかった。
グローバル化が進み価値観の多様化が止まらない今日、「デイベート教育」の重要性は益々高まっているが、LEDの研究で2014年のノーベル物理学賞を受けた赤崎教授は「語学力は国際化の一つの要素ですが、話す中身がなければ何にもなりません。最近、学校で英語の授業を増やそうとしているでしょう。でも、日本人はもっと国語をちゃんとやらないといけない。今はきれいな文章を書く学生が少ないですよ。まず日本の文化を理解していないと。自分のアイデンティティーがしっかりしていなければ、グローバル化に対応できるとは思えません。内容さえ立派なら、こちらがうまく話せなくても、向こうがこちらの内容を聞きたいもんだから、何回も尋ねてくるんです。」と、弁論テクニックや語学力よりも語るべき内容が重要だと述べられたが、流石に多くの示唆に富んだ言葉である。
然し、忘れてならない事は「話の中身を国際的に通する内容にするには、前提条件の設定能力の高さ」が求められる事である。
日本のエリートが国際的に通じない事が多い背景には、「先生(権威者)を妄信する、教科書を覚える、本音建前の処世術を身につける」と言う日本の伝統が大きく影響している。
卑近な例を挙げると「民主主義国家である日本において、一定の年齢に達した全ての国民に等しく与えられる「主権」」と松本さんが言われた主権も、日本の立法の最高機関である国会が満場一致で「18歳選挙権法」を可決成立させても、憲法上何の権限も無い文科省が「高校生の政治活動を容認、ただし、校外の活動であっても学校が生徒自身や他の生徒の学業に支障が出るなどと判断した場合は、禁止を含めた指導対象となる。違法行為や暴力的な活動につながる恐れが強いと判断した場合も、制限や禁止の必要がある」と言う文科省通知案を作成し、法律の改正も無しに20歳未満の国民を事実上の「準選挙権者」に格下げしても抗議の声が上がらないのが日本の現状である。
又、「地方自治」を管理・監督する中央官庁として「自治省(現在の総務省自治行政局、自治財政局、自治財政局)」 がある事も海外では自治を否定する非常識と見做される。現に、総務省組織案内にある自治を管理監督する各局の「主な役割」を読むと、地方自治体が「自治」どころか、中央官庁の完全な植民地状態に置かれている事が鮮明になる。
この矛盾を突くと「ここは日本だよ」とか「地方に任せられる状態ではない」「日本の伝統や行政の継続性の維持もある」等とおよそ普遍性も合理性もない「言葉」が事実の様な顔をして登場するのも法律より慣習が優先する「日本的法治国家」の現実で、この様なまったくローカルな前提で先進民主の諸外国を説得する事は至難の業であるが、この続きは又の機会に譲る事にしたい。
北村 隆司