高等教育の為に「大学」は必要か?

先回の記事で「研究機関としての大学のあり方」についての意見を述べたが、今日は「教育機関としての大学のあり方」について考えてみたい。但し、今後は一回あたりの文字数を大幅に減らして欲しいという編集部からの要請もあったので、今回は、法学部や経済学部、商学部のような社会科学分野のみに絞る事にする。


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残念ながら、私は外国の大学と日本の大学の相違点について殆ど何の見識も持っていないので、出来れば博識の北村隆司さん等から一度詳しくご教授頂ければ有難いが、一つ分かっている事は、仮に米国のロースクールやビジネススクールと同じ分野をカバーする日本の大学とを比べると、学生の勉強の質と量にも、卒業時の実力にも、格段の違いがあるという事だ。

(私が何とも残念なのは、例えば中国から米国に留学した学生と日本に留学した学生との帰国後の実力を比較してみると、日本留学組の利点は「日本語」という特殊な言語に精通している事と、日本の漫画やゲームに精通しているという事ぐらいしかない。という事は、彼等は今後、中国の産業界や経済界ではあまり重要なポジションにつけそうにないという事だ。これでは、折角日本にきてくれた人達に申し訳ないと思っている。)

難しい議論を抜きにして一言で言うなら、社会科学分野の学部を選んだ若者達(及び、学費を出す彼等の親達)の最大の目的は「就職」だ。一般企業、公官庁、弁護士や会計士と、狙う分野は様々であっても、要は「どうしたら生涯を通じて安定して生活の糧を稼げるか」「どうすれば生涯収入を最大に出来るか」という事が、彼等の関心の大部分を占めるといっても過言ではないだろう。「面白そうだから、この辺の事を勉強してみたい」という気持ちも皆無ではないだろうが、そんなに大きな比重を占めているとはとても思えない。

一方、彼等の最大のターゲットとなっている一般企業の方はどうだろうか? 池田信夫さん等もご指摘の通り、企業が有名大学の新卒に感じる最大の魅力は、「地アタマの良さ」と「忍耐力(受験勉強に耐えた実績)」を「大学が選別してくれている」という事だろう。いや、実は、別に大学が選別しているのではなく、「大学受験制度」がやってくれているに過ぎないのだが。大学での教育などには、どんな企業でも殆ど期待していないのが実情だと思う。

それなら、国民経済的にもあまりに無駄が多く、国の将来の競争力強化にも殆ど貢献していないと思われる現在の制度は、全てバッサリと切り捨てて、白紙に戻し、全く新しいやり方を導入した方がずっとよいのではないだろうか? 勿論、そうなると数多くの教授や准教授が失職し、巨大なキャンパスには閑古鳥が鳴くので、「実際には出来るわけがない」と言われるのは目に見えているが、「何が理想型か」という事をあらかじめ考えておく事は、「現実的な改革の方向性」を見定める為にも、極めて有益な事だと思う。

以下に、「あまりに非現実的な極論」とのご批判を受ける事も重々承知の上で、この「理想型」の骨子を記すので、これをベースに色々とお考え頂ければ有難く存じます。

1)大学受験は全廃、これに代わって多くの「資格試験(高卒レベル)」を並列的に導入する。内容は、例えば、「日本語読解力」「日本語による文章作成能力」「日本語によるディベート能力(論理的思考能力)」「日本の古典文学」「日本の現代文学」「英語読解力」「英作文」「英会話(英語によるディベートを含む)」「日本史」「世界史」「現代史」「日本国の法制度」「日本の産業・経済の構造」「社会倫理」「環境保護」「保健衛生」「家政学」「世界地理」「地学・天文学」「生物学」「無機・有機化学」「基礎物理学」「コンピューター・サイエンス」「数学-1(解析)」「数学-2(微積分)」「幾何学」「確率・統計」「インターネット・リテラシー」等々、100項目程度まで準備すればよい。合格者はA、B、Cの3クラスに分ける。(別途、「健康診断」や「体力測定」も行う。)

2)上記の資格試験で一定レベルをクリアーした人達には、年齢の如何を問わず、高等教育を受ける権利が与えられる。私立大学は自由に存続すればよい(但し、入学出来るのは、上記に示した公的な資格試験の数科目に合格した人のみ)。しかし、国公立大学は「研究機関」として残る部分を除いては全て廃止し、既存のキャンパスは「場所を提供する施設」としてのみ運営する。高等教育は、数千種類の「講座(履修単位)」に分けられ、「ネットを利用する参加者無制限のバーチャル講義(外国の有名大学の講義等も含む)」「教員を囲む少人数の対話型の授業(バーチャル講義の補足、又は特定のテーマに絞ったゼミナール)」「テーマを決めた共同作業(各種の研究プロジェクト)」「企業による教育型インターンの受け入れ」「海外留学(特殊語学の研修を目的にしたものも含む)」等を混在させる。各講座は、国や企業の全面的な財政支援によって、利用者に対して相当の低価格で提供される他、国は各種の奨学金制度も整備する。

3)司法試験や外交官試験、国家公務員試験、その他各種の資格試験は、現行制度のままで別途運営されるが、一般企業は、就職希望者を、基本教育(高卒レベル)での「資格試験の成績(過去のもの)」と、高等教育(大学レベル)での「各講座(企業が選んであらかじめ提示してもよい)の履修状態(試験その他の方法で採点された成績)」によってふるいにかけた上で、丁寧な面接を行って、最終的に採用する者を決めればよい。「新卒の一斉採用」の様な無意味な事はやめる。また、各企業は、「何年度入社」等といった「従来の社内の昇進基準」は廃止し、上記の「各種の試験の成績」や、その後の「社内での業務貢献度」を総合した「独自の等級制」を新たに設定する事が望ましい。

大学の華である既存の運動部や各種のサークル活動は、私立大学等で残したい向きがあれば残せば良いし、そういう機会を失った人達の為には、地域ごとにサークルやチームが自由に作れる制度を作り、助成金の拠出などについても一定の基準を決めておけばよい。これによって、むしろ現状よりも優れた「スポーツ振興策」が可能になるかもしれない。

松本 徹三