一昔前、銀行の女子行員が銀行のお金をパクってしまう事件がよく起きていました。滋賀銀行、足利銀行、三和銀行事件などは大きかった例で新聞の社会面を賑わしていましたが最近、めっきりきかなくなりました。実情は結構まだあるそうですが、着服の金額が一ケタ小さくなっているような気もします。それ以上に銀行のシステムが着服をそう簡単にさせないように整備されていることがもっと大きいのではないでしょうか?
私が就職活動していた頃、「銀行は給与がいいぞ」と囁かれていました。なぜ、と聞けば、「良い給与を払わないと着服するからさ。だから、銀行員はお金に満たされるようにしているそうだ」と銀行に内定した同期が自慢げにしゃべっていたのを覚えています。となれば、当時、女子行員は満たされていなかったということでしょうか?
今、社会面を賑わす二つの事件、横浜の杭打ちの偽装問題、それと巨人の3選手による野球賭博関与事件、共に共通するのはモラルの欠如であります。
モラルとは「倫理観や道徳意識のこと。世代や状況によって徐々に変化するマナーよりも普遍的な価値観を含んでいる。法令順守はもちろんのこと、適正な出退勤や会社の資産・備品の適正使用など公私の区別をきちんとつけることや取引における公正さなど、公序良俗に反しない行動全般をさす」(コトバンクより)とあり、改めて意味を拾い出せば、法律の縛り以前の大人としての行動規範だと理解できましょう。
ところでアメリカは法律社会でありマニュアル文化だと言われています。理由はなぜでしょうか?
広い国土に様々な背景を持つ人々が移り住んできた国家だけに行動規範と常識観がバラバラなのです。その為に道徳観を具現化した法律やマニュアルで人の行動に一定の方向付けを行うわけなのです。シアトルで飲むスタバもフロリダで飲むそれも同じ味がするのはそういう努力があってのことなのです。
しかし何故か、ほぼ単一民族の日本でアメリカ的なマニュアル文化が普及しました。私の記憶が正しければマクドナルドが先鞭ではなかったかと思います。日本の場合には多店舗化をするにあたり、金太郎飴的な展開にマニュアルは非常に便利な道具であったわけです。
ところが、マニュアルに過剰に期待すると当然問題も生じます。一つはマニュアルでカバーできない事態が生じた時、対応できないこと、二つ目は人に考えるチカラがなくなることであります。
例えば、横浜の杭偽装問題の対策として元請の三井住友建設は杭打ちには元請社員を立ち会わせるという新たなマニュアル項目を追加しました。巨人の賭博問題では三選手を告発し、厳しい処分とすることとしました。この両方の対策はともに直接的には元請や巨人軍の利益の為であります。問題を起こした当人たちの改善には何らつながりません。これが私の指摘する二つ目の考えるチカラが無くなった人たちへの無策という問題であります。
モラルとは人間が生まれてから親、家族、学校、近隣社会、友人あるいは社会人生活を通じて人が人としてふさわしい行動や判断を体験をもって身に着けていくことであります。当然ながら怒られることもあるし、苦い思い出も伴うでしょう。ところがゆとり教育や少子化で子供たちをあたかもぬいぐるみやペットの様に甘えさせてしまったことで大きな代償を払っている、これが現実ではないでしょうか?
カナダにいるとアメリカ文化に影響されたカナダ人とイギリス文化に影響されたカナダ人を見て取ることが出来ます。イギリスに影響された人達はマナーや躾に特にうるさく、レストランでも小さい子がきちっと座ってフォークとナイフを巧みに使いながら食事をし、親たちとの会話もちゃんとしています。
あるいは変な話ですが、カナダの犬はよくしつけされていて吠えることもほぼないのですが、日本で散歩していると犬がよく争っているのはなぜなのでしょうか?これも躾のせいかも知れません。
もう一つの杭打ち偽装事件と巨人三選手の相違点は格差社会を目のあたりにした点であります。杭打ちの社員は派遣、巨人三選手はエリート球団の中で芽が出ず、モヤモヤしていました。冒頭の銀行の話ではありませんが、皆、同じような給与を払えばこのような事件は起きなかったのでしょうか?そうとも思えませんが。
モラルが欠如している事件は枚挙に暇がないほどあります。一時注目された飲食店で働く店員によるYoutubeへの奇妙な画像のアップなどはその典型でしょう。年齢層から考えるとゆとり世代を中心とした年層に大きなギャップが出来ていると思います。甘えの体質が作り出したモラルの欠如に世の中のマニュアル文化と格差社会が生み出す圧力にストレスを感じてしまった、というのが私の今回の事件の印象です。
教育の重要性を改めて考え直す事件であるとも言えそうです。
では、今日はこのぐらいで。
岡本裕明 ブログ 外から見る日本、見られる日本人 10月23日付より