一人っ子政策撤廃の行方

中国がついに一人っ子政策を撤廃したことに様々な意見が寄せられています。遅すぎた、今さら撤廃しても意味がない、人権問題の解決だ、など切り口はいろいろです。

中国が一人っ子政策を開始したのは70年代後半で増え続ける人口に一定の共産主義的思想に基づく「コントロール」を図るというものでした。ところが、中国は男尊女卑が根付いており、一人しか作れない子供が男の子なら幸せだが、女児だった場合、不幸な話が数多く存在します。その為、戸籍に残す子供が男児になるよう様々な対策が施され、「黒孩子」(ヘイハイズ)と称する戸籍上認識されない女児も数多く存在するのです。

また、通常、男女比は女100に対して男102-107人があらかた標準とされますが、中国の場合、118人程度にまでその「格差」が広がっています。これは男性社会をさらに増長させるのですが、儒教的思想に於いては許されるということなのでしょうか?

つまり、一人っ子政策は総人口数こそ抑えられたものの、人口ピラミッドが歪になったばかりではなく、奇妙な男女比、そして表に出ない黒孩子の問題など山積しているのです。中国政府は2013年にその政策を一部、緩和しており、今回の完全撤廃はその流れを汲んだものであります。

人権問題としてはこの撤廃は喜ばしいものであります。

ところが、私が疑問に思っているのは中国がこの一人っ子政策撤廃を中国の長期にわたる繁栄の為、つまり、安定的な経済成長を目論んでいるのならことはそう簡単ではないという点です。

経済が一定水準に到達し、戦争などの動乱が起きない限り、出生率は下がりやすい傾向があります。かつて、世界で高い水準の出生率があったのは「種の保存」の原則が効いているからであります。例えば、平均余命が短い、疾病や伝染病が蔓延している、健康管理が十分ではない、食生活や衛生面が不健全といった理由は種の保存の原則で出生率を高めます。また、戦争は子供をたくさん作らないと家系が途切れる可能性がありました。更にはイスラム教は教徒を増やすことによりその影響力を誇示する考えがあり、数十年後にはキリスト教信者を抜き、世界で最大の宗教となります。

ところが、現代社会ではそのほとんどの問題を克服しつつあり、特に先進国では平均余命は伸び続けています。つまり、中国においては70年代後半はともかく、90年代後半以降だけ考えれば否が応でもその出生率は下がることが予見できたはずなのです。

宗教観が近いアジアでみると2013年の合計特殊出生率ランク200カ国、地域で最下位から台湾、マカオ、香港、韓国、シンガポールの順で日本は下から14番目であります。つまり、世界の中でアジアの低出生率は突出しているのです。では肝心の中国の出生率ですが、本当の答えは分かりません。公表されているのは1.67でランク的には156位なのですが、中国の都市部における出生率は1.00を下回っているのではないかとされています。つまり、いつものようにあてにならない統計と同時に都市部と農村部に於いて相当離れた統計的傾向となっている可能性があるのです。

そういう意味で中国の今回の決定は遅すぎたということに繋がるのでしょう。

さて、一般には人口は増えた方がよいというのは経済学的に成長を考えるからでしょう。正に規模の経済です。が、敢えて私は一つの疑問を差し込んでみたいと思います。人口が増えることが経済成長に繋がるとは断言できない時代がやってきたのだろうか、という考えです。即座のご批判があるかと思いますが、あくまでもこれが良い、悪い、ということではなく、一旦、一呼吸おいて考えてみる必要がある、ということを提示したいと思うのです。

現代社会に於いて機械化の進化は止まりません。機械と人間の戦いに於いて単純労働のみならず、高度な水準の作業も機械がこなす時代になりました。これが意味するのは「食えない国民の増大」をもたらす、ということです。経済的幸福度はGDPよりも一人当たりGDPで見た方が実感が出るわけで人間が機械の上にいかに立つか、という視点に立てば必ずしも数や量の理論にはなりません。

もちろん、地球儀ベースでの政治力、影響力という点では数が大いに越したことはありませんが、それにより国家財政が厳しいものなることとの比較ということも考えなくてはいけないでしょう。

一人っ子政策はある意味、なくなっても実質は変わらない、これは中国に限らず、アジアの宿命なのかもしれません。

では、今日はこのぐらいで。

岡本裕明 ブログ 外から見る日本、見られる日本人 10月31日付より