「マニュアルとその魂」考

若井 朝彦

【マニュアル】は、ふつう「手順」「手引き」などに訳される。

接頭辞「manu-」はもちろん、manualそのものも、本来が「手」「手先」を意味していることから、これはなかなか座りのいい訳語だと思う。とはいえ、現在の日本で【マニュアル】といえば、収拾のつかないほど多くの意味を背負わされているのではないだろうか。

作業の効率確保を主とするマニュアル(「効率マニュアル」)も、品質の管理を主とするマニュアル(「品質マニュアル」)も、作業における危険の排除を主とするマニュアル(「危険排除マニュアル」)も、ひとくくりである。しかしたとえば「サラダ盛付」のマニュアルも、1999年に臨界(突破)事故を起こしたJCOの「ウラン燃料製造」のマニュアル(または事故を誘発した裏のマニュアル)も、同じマニュアルの類として一律に扱うのは、無理があるとわたしは思う。

大学の産業関係の学部学科では、このあたりの事情は、どうなっているのであろう。

マニュアルそのものが研究対象となっているという前提ではあるが、マニュアルの作成法、マニュアルの使用徹底のための指針、マニュアルの使用確認のための調査法、といった具合に、マニュアルをシステムとして捕捉できているのだろうか。

また、マニュアルに反した工程が発生する度合いをあらかじめ想定し、その分の安全の余剰を見込むなどといった設計思想は、存在したりするのだろうか(これは畑村洋太郎氏の『失敗学』にいくぶん近い発想かもしれない)。

いずれにせよ、どんなマニュアルであろうとも、使われて、そして守られてこそであろう。鍛え上げられたマニュアルがあるとすれば、遵守されつつ改良が続けられたものであろう。

しかしマニュアルは簡単に覆る。とくにノルマというものは、容易にマニュアルを突き崩してしまう。監視をすり抜け、検査をごまかす。それは「品質マニュアル」だけでなく「危険排除マニュアル」であっても同様だ。

「効率マニュアル」の遵守は、実施の確認だけでよいかもしれないし、統計だけで足りるかもしれない。「品質マニュアル」は実際に検品をすれば、その実態が分かる場合も多いだろう。だが「危険排除マニュアル」はそれだけでは不十分である。遵守不足の結果が出てしまった場合は、もう手遅れなのだから。

「危険排除マニュアル」ではマニュアル使用者の事前の理解が欠かせない。何のために守るのか、守らなければ何が起こるのか。これは先に触れたJCOの事故の教訓である。

あの事故の場合、現場が「核分裂の連鎖反応」「臨界(安全)設計」という言葉を知っていたかどうか。知らなくてもできる作業だったようだが、知らなくては安全が確保できない作業だったことは明らかだ。知った上で、それをマニュアルと結びつける必要があった。なにも物理学の講義をするまでもない。マニュアルと一緒に、「なぜこの工程にはこの制限があるのか」を説明しておけば済む程度のものだっただろう。論語の子路篇にも以下の通り。「教えずの民を以て戦うは、これを棄つという」

ことわざに「ほとけ作って、たましい入れず」があるようにどうやってマニュアルに命を込めるのか。今般のビルの基礎工事の偽装では、多くの人がその結果や不明瞭な説明に苦しんでいる。しかしその原因の調査から、将来なんらかの教訓が得られれば、まだしも救いがある。

 2015/10/31
 若井 朝彦(書籍編集)

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