小学校や高校の教師より中学教師の指導が難しい原因 --- 天野 信夫

熱心さ故であったとしても、大人から子どもへの「指導」が極端に強まれば、それはただの押しつけとなり、子どもはかえって萎縮してしまうかもしれません。反対に子どもの「自主性」を尊重するあまり、最初からなんでも自由にしてしまえば、子どもは基礎づくりの機会を失い、忍耐や我慢が苦手となり、我が儘になりがちです。「指導」と「自主性」の線引きは、とても難しいと思います。

※中学教師の指導が一番難しい理由とは?(作・HappySunnyday、編集・アゴラ編集部)
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この線引きの一つの基準は、子どもの成長の度合いです。子どもがまだ未熟なうちは十分な「指導」が必要です。「理屈ではなく、まずこう覚えろ」です。小さな子どもの「自主性」も尊重はしますが、それは大人の「指導」のもとにある、一定の枠の中での「自主性」です。この時期に、その後の基礎をつくるための十分な「指導」を受けていないと、その子どもは大人になっても「自主性」を発揮することはできません。子どもは大人の「指導」を受けて基礎をつくり、その基礎の上に自分づくりの「自主性」の花を開かせます。

この考え方に従えば、一般的には小学生には「指導」が中心となり、高校生には「自主性」が期待されることになります。問題は中学生です。まだ経験も基礎づくりも十分でない小学生の時期と、そろそろ大人になりかけた高校生の時期の間に挟まっています。相手の中学生がまだ未熟であれば、それに対する大人の基本的なスタンスは基礎の「指導」になります。反対に、基礎づくりが済んで十分な成長が見られる中学生が相手なら、大人の基本的なスタンスは「自主性」の尊重になります。

ところが現実には、この時期は心の振幅も大きく不安定で、同じ子どもであっても、時と場合によって小学生になったり高校生になったりします。また中学生の時期は成長が著しい分、個人差も大きく、学校では、小学生に近い中学生と高校生に近い中学生とが、同じ集団の中に混在しています。このことは中学校での指導を、とりわけ集団指導を難しくしている原因の一つと思われます。

指導する側にも問題があります。はっきりと色分けできるわけではありませんが、家庭の中では、どちらかと言えば「指導」重視型の厳しい(口うるさい?)母親と、「自主性」尊重型の優しい(甘い?)父親とが並存しています。学校でも、この両方の考え方の職員が混在します。これが子どもへの対応を更に難しくさせます。「指導」と「自主性」の線引きは、いつも私たちの頭を悩ませます。

天野 信夫
無職(元中学校教師)
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